祝福のメッセージ
レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200808
神には出来ない4つのこと
今日は全能の神が出来ないとおっしゃる4つの事についてお話します。神は何でもお出来になります。けれどもこれからお話しする4つのことはお出来になりません。
先ず第一に、神は罪を見過ごすことがお出来になりません。
罪とは神の掟を故意に破ることです。「偽ってはならない。盗んではならない。姦淫を犯してはならない。偶像礼拝をしてはならない。」などなどです。
私たちが神の戒めを知りつつそれを破り故意に神に背くなら、それは罪です。神は罪を憎むあまりそれを一つたりとも見過ごしにすることはお出来になりません。
神は人間文化の始めにあたりアダムとエバをエデンの園に置き、こう言われました。「どの木から取って食べてもよい。ただ、園の中央の木の実は食べてはいけない。」
神は人間を交わりの相手として造り、日の涼しくなる頃、人間に会いに園においでになりました。想像できますか。全能の神が地上に下り、アダムとエバと共に歩み語り合われたと言うのです。何という喜び、何と言う平和、何という幸せでしょう。
ところがある日、彼らは神に背きました。神の願いを破って神のことばに背いてしまったのです。罪を憎んでおられる神は、二人をエデンの園から追放してしまわれました。こうして彼らは神との直接的な交わりを失ってしまいました。神は罪を見過ごすことはできないからです。神が憎まない罪は一つもありません。
全能の神は、男性でも女性でも年老いた方でも若い方でも、全ての方を神の聖なる宮としてお造りになりました。神の聖なる霊があなたのうちにお住みでしょうか。
聖い行いの実を結んでいるでしょうか。神の願いは私たちが忠実であることです。
大王とたたえられたダビデほどの人物でさえ、王の権威を利用して姦淫を犯し、隣人の妻を奪い、その夫を殺しました。聖書に盗むな、姦淫をするな、殺人をするなと命じられています。そこで、神はダビデの家に災いを宣告しなければなりませんでした。大きな悲しみと悩みがダビデの人生を襲いました。それはダビデが神の掟を破って罪を犯したからです。もし、神に出来ないことがあるとしたら、それは罪を見過ごすことです。神に憎まれない罪はこの世に一つもありません。
第二に、神に出来ないこと、それは罪人を憎むことです。
素晴らしいではありませんか。人々はイエスの手と足を十字架に釘付けましたが、イエスは彼らを愛され「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分がしている事がわからないのです。」と言われました。どんな罪人であっても、神はその魂を愛しておられます。ですから、世界中のどの国の人でも、どんな家に住んでいようとも、頭が良くても悪くても、神に愛されていない人はいません。神の願っておられるのは、ひとりも滅びないで全ての人が救われることです。あなたが神の戒めに背いて、神の祝福から永遠に引き離されたまま滅びることは神の御心ではありません。
イエスは失われた者を尋ねだして救うために世に来られました。地上の喜びもさる事ながら天の喜びはどんなに素晴らしいでしょう。もし、罪人がひとりでも悔い改めるなら、そのたったひとりのために天に大きな喜びがあると聖書は言っています。
神は罪を憎んでも罪人を憎むことは決してなさいません。神は赦しの神です。
人々が姦淫の現場で捕らえられた女をひきづって来てイエスの足元に置いて言いました。「この女は我々の掟によれば石打の刑にあたいする。」するとイエスは言われました。「では、罪の全くない者が先ず石を投げなさい。」
全ての人は罪を犯し、神の栄光を受けられなくなっています。ひとりまたひとりと、訴える者たちは立ち去りました。イエスは女に言われました。「あなたを訴える者はどこにいるのか。私もあなたを罰しない。もう罪を犯してはいけない。」
人はあなたを非難するかも知れません。あなたを社会的に葬り去ろうとする人もいるかも知れません。冷たい目をあなたに向け、のけ者にするかも知れません。あなたは人にもてはやされることはないかも知れません。しかし、よくお聞きください。
神はあなたを愛しておられます。あなたの罪を赦してくださいます。神はどんな小さな罪でも憎んでおられます。しかし、どんな罪人でも愛してくださいます。そこで、神は罪人のために最上の救いの計画をお立てになりました。
第三に、神はこれ以上の救いのご計画を立てることがお出来になりません。
ヨハネの福音書3章16節にあるように、神は愛のゆえに御子イエスを世に与え、イエスは十字架の上で人類の罪の身代わりとして死んでくださいました。神はこのようにして人類に対しどんなに大きな愛を持っておられるかをお示しになりました。
私たちが神の救いの計画そのものであるイエス・キリストを心に受け入れる時、古い霊は取り去られ、聖い神の御霊を与えられるのです。古い物はことごとく過ぎ去り、全てのものが新しくなります。これに勝る救いの計画はこの世にはありません。
第四に、神は今という時以上の良い救いの時を与えることがお出来になりません。
今という時が、救われて神の子となる最上の時です。今日こそ救いの日です。
聖霊は今あなたに語りかけておられます。心の中で何かが囁いていますね。「さあ、あなたの人生を神に委ねなさい。あなたの罪と悪い習慣、疑いや不安を捨てて神の平安を心に受けなさい。」と。心の中では戦いが続いています。今日こそその決着をつけなければなりません。聖書にあるように、神の御霊が働いて下さる時は限られているからです。
神はどんな罪でも見過ごすことがお出来になりません。しかし、どんな罪人でも憎むことをなさいません。そして、イエスの十字架と言う救いの御計画以上の計画を立てることがお出来になりません。そして、今と言うとき以上に良い救いの時を与えることがお出来になりません。
たった今、あなたの心臓が止まってこの場に倒れて、永遠の世に行くとしたら神に会う備えは出来ていますか。あなたのためにお祈りします。