親愛なる祈りの家族の皆様。
かなり秋らしくなってまいりました。
先日、久しぶりに息子が帰って来てくれました。しばらく見ないうちにかつて覚えていた町並みや懐かしい学校などがすっかり変わっているのを見て驚いていました。町並みも学校も決して悪く変わったわけではありません。むしろ、変わって良くなりました。おんぼろだった校舎を懐かしく思うのは、もう、その不便だった場所に帰る必要がないからに違いありません。
私たちの周りのものは全て変化し、あるいは進歩し続けています。進歩するのは不完全なものを離れて、より優れたものに変わる必要や可能性があるからです。完成したものには変化の必要はありません。ですから、完全無欠である神は変わることも変わる必要もないのです。
けれども、私たちは変化します。不完全なところや変わるべき点がまだたくさんあるからです。同時に不完全な今の自分を離れて、より良いものへと変わっていく希望もあります。日々経験するたくさんの問題があなたを賢くし、時々やってくる大きな困難があなたを強くします。
人々は老いていくことを嘆いたり恐れたりします。必死になってそれを防ごうとしています。もちろん、ある程度は努力によって老いを遅らせることは出来ます。心がければ今の健康状態を出来るだけ長く保つことも出来ますが、遅かれ早かれ、確実に老いていきます。しかし、それは決して悪いことばかりではありません。じょうずに年齢を重ね、経験を深め、より優れたものを目指して変わりつつ、喜び楽しみながら年を取るのです。若い頃に比べて、ずいぶん物事をわきまえ、賢くなった点が多いことを、あなた自身も感じておられると思います。年を重ねて、多くを学び、今まで気づかなかった大切なことを悟るようになるのです。それは、「老い」と言うにはあまりにも尊い経験です。むしろ「成長し続けるのだ」と私は思っています。これからもご一緒に成長し続けてまいりましょう。その時、次のことを心に留めていてください。
ソロモン王は誰よりも多くの富と知識を得、多くのことを試し、経験することができました。しかし、彼は最後にこう言っています。
私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。
実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。
(伝道者の書2章10、11節)
ソロモンは「すべてがむなしい」と言っていますが、少なくとも彼は誰よりも深くそれを悟ることが出来ました。そのことは決して無駄にはなりませんでした。
それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。
(伝道者の書12章12、13節)
今年のノーベル賞に日本人の科学者たちが選ばれて、明るい話題になっていますが、たとえ、ノーベル賞候補にならなくても、有名人の仲間に入らなくても、大富豪と呼ばれなくても、また、一般に言われているような幸せな人生とは違っていたとしても、何も心配する必要はありません。神を信じイエス・キリストを心に持っておられるあなたは、年老いて、やがて人生を終える日が来ても、決して悔いることのない生き方をしているのです。この人生において、真の神と出会うことが出来たあなたは、最も恵まれた勝利者です。ソロモンのように幾多の遍歴を経なくても、その悟りをしっかりと受けとめておられるからです。ソロモンが言っているように、神を畏れ、その教えを守り続けてください。
こんなことを言うと、私が命にかかわる重大な病気にかかっていて、今にも、最期の言葉を残して世を去って行く時が来ているかのように思われるかも知れませんが、そうではありません。それはまだずうっと先のことだと思っています。ただ、今日人生が終わっても悔いの無いように、毎日の時間を大切に過ごして、進歩し続けていきたいと思っているのです。
私の友人は二度も交通事故に遭遇し、大怪我をしましたが命は助かりました。牧師である彼は、つねづね「私の時間は神から預かったものであって、もう私のものではない。」と言い、毎日をとても大切にしてがんばっています。けれども、むやみに働くばかりではありません。旅行やスポーツを楽しむことも忘れません。彼がアメリカに帰るまでは、よく一緒にテニスをしたものです。彼にとっては、楽しく過ごすことも含めて、人生の全てが神から預かった大切な時間なのです。私もそう思っています。神はあなたが戒律に縛られ、歯を食いしばって、清貧に耐えつつ一生を終えることを願っておられるでしょうか。私はそうは思いません。
私の心からの願いは、あなたがいつも喜びと平安をもって日々を楽しく過ごし、神の愛を感じいっそう神の心に近づきつつ生きてくださることです。あなたが幸せであることが神の願いだからです。神はあなたが正しく生きることと同じように、楽しく生きることを願っておられます。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケ第一 5章16-18節)
私たちはかつての不完全だった過去の姿を振り返る必要はもうありません。イエス・キリストが全ての罪を清めてくださったからです。そのことを本当に実感できるためには長い年月を必要とするかも知れません。私自身もまだ完全に実感できているとは思っていません。
「どうしたら人を幸せにすることが出来るか。」ということを考える時が、私には一番充実した時間です。しかし、それを実行する力があまりにも小さいことに失望もします。けれども、神は言われました。「わたしはどのようにして、あなたを息子たちの中に入れ、あなたに、慕わしい地、諸国のうちで最も麗しいゆずりの地を授けようかと思っていた。」(エレミヤ3章19節)
これが愛する者たちへの、昔から変わらない神の願いです。神にはそれがお出来になります。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛