祝福のメッセージ:2008ー11

祝福のメッセージ

レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より

No. 200811

たましいの渇きを癒すもの


 今日の聖書は詩篇42篇からです。

 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。
 詩人はこう言っているのです。「猟犬に追われて疲れ果てた鹿が水を慕うさまは私のたましいの姿である。敵はののしって『お前の神はどこにいるのか』と言う。」

 想像してみてください。突然犬のほえる声がしたかと思うと大きな猟犬が数匹姿を現しました。それに追われて1匹の鹿が野原へと飛び出して来ます。鹿は疲れてあえいでいます。よろめく足で、今にも倒れそうになっています。野原の向こうは川です。鹿は自分にこう言うのです。「あの川まで行けたら渇きが癒せる。」今にも気が遠くなり倒れそうになりながら、ひたすら水を慕ってかけていきます。

 この詩人は言います。「あの鹿が谷川の水を慕いあえぐように、私のたましいは神を慕いあえぎます。敵は私に追い迫り私を異国に追いやり「お前の神はどこにいるのか」と言って神の家と神の民から引き離されたこの私をあざけります。」

 詩人には今は答えるすべさえありません。彼は神の家にいて神との交わりがありました。かつては神のことを教えられました。しかし、今は異国をさまよう身です。神から離れ、神の家からも神の民からも遠く引き離されて、かつての交わりを懐かしみ涙するのみです。

 皆さんの中にもこんな方がいらっしゃいます。子どもの頃から教会へ行っていたでしょう。みことばも聴きました。しかし、もう久しく教会へ足を向けたことがなく、神のことばを聞いて神と交わることも絶えてなくなりました。

 ある日思いがけなくあなたの人生に失望が訪れ悲しみと痛みが襲いました。あなたは人生の渇きを覚え神を慕い求めてあえぎ、さまよっています。この世の物質的なものではあなたの渇きを癒すことが出来ないからです。

「ちょうど鹿がのどの渇きを癒す水を求めて谷川を目指して進むように、私は神の御許に参ります。神だけが私の渇きを癒す方です。」と詩人は言うのです。
 これは神と霊的な事柄に対する全人類の普遍的な渇きを表しています。人は誰であれ、金持ちでも貧しくても、健康でも病気でも、どんな職業の人でも、全ての人が神の霊的な事柄に対して飢え渇きを持っているのです。この肉体が生きるためには食物と水が必要であるように、私たちのたましいには生ける水である神の御霊が必要です。命のパンである神のみことばが必要なのです。それ以外のどんなものによっても人間のたましいの渇きは癒せません。イエスは放蕩息子の話をなさいました。ある日彼は父親の財産の分け前を要求して故郷を離れ、外国へと旅立ちました。そして自分の体を罪の道具にし、財産を使い果たしてしまいました。物質的にも精神的にも彼は父の愛と慰めにあふれた我が家を捨てて罪の道を行ったのです。しかし、満足はありませんでした。そのあげくの果てに、ある日彼は豚小屋で目覚めました。父を思い我が家の暖かさを慕いました。その心の渇きが彼を家に向かわせたのです。

 イエスはヤコブの井戸の傍らである女と会話をなさいました。イエスの話を聞いてその女は言いました。「その生ける水を私にもください。」「では夫を呼んで来なさい。」「夫はいません。」「あなたの言う通りだ、あなたには5人の夫がいたが、今、一緒に暮らしているのはあなたの夫ではない。」「あなたは預言者ですね。」イエスは彼女にご自分がキリストであることを明かされました。彼女はこの日、生ける水を味わい、命のパンを口にしたのでした。そしてこれまでの罪を全て赦されて新しい人となりました。飢えと乾きは癒されました。

 イエスのなさった農夫の話をご存知ですね。ある農夫の畑が豊作でした。彼は心の中でこう言いました。「さあ、新しい倉を建てよう。飲み食いして楽しもう。私には長年分の食料が蓄えてある。」しかし、神は言われました。「愚か者よ。今宵あなたのたましいが取り去られたら、あなたの財産は誰の物になるのか。」倉に詰まった穀物や物質的なもので、ロバは満足出来るでしょうが、人間のたましいは満足できません。彼は神なしで死にました。人間は誰でも神だけが与えることの出来るものに飢え渇いているのです。
 真夜中に目を覚ました赤ん坊は父親がどんなにあやしても泣き止みません。ところが母親が乳を与えるとすぐに泣き止みます。赤ん坊は飢えと渇きを訴えて泣いていたのです。

 ある農家の子どもが山の中で大きな卵を見つけて家に持ち帰り鶏の卵と一緒に孵化させました。孵化した雛は大きなくちばしのある奇妙な姿をしていました。大きくなるにつれて一緒に育っている鶏とは違ってきました。ある日、この若い鳥は一羽の鷲が空高く飛ぶ姿を見ているうちにその大きな羽を広げると空高く舞い上がり、遠くへ飛んでいきました。この鳥は農家の庭先ではなく大空を駆け巡るように造られているのです。鷲には大空が必要です。鶏のように地上に住むことは出来ません。あなたには人間の知恵や能力を遥かに超えた神との交わりが必要です。

 あなたは今はこの世の富で満たされているかも知れませんが、心は満ち足りてはいません。神の御許に帰るべきです。あなたのたましいの飢え渇きは物質的なものによっては満たされないのです。

 この世の物によっては決して満たされません。それを満たしてくださるのは全能の神だけです。あなたを造られた神はあなたのたましいの飢え渇きを満たしたいと願っておられます。お祈りしましょう。

 尊き主よ。今日ここに義に飢え渇いている人々がたくさんおります。義に飢え渇いているものは満たされるとあなたは言われました。信仰によってその人々をあなたに差し出します。彼らは涙し真理を求めいろいろな道を試してみましたが満たされることがなかったのです。今この人々をあなたに差し出します。どうかひとりひとりの罪を赦し聖霊をお与えください。主が私たちの心に入り私たちを神の子としてください。私たちを聖霊の住まわれる宮としてください。その時私たちのたましいは満ち足りて飢えと渇きを忘れます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。