祈りの家族への手紙:2009-02


 今、多くの人々が家庭で、職場や学校で、あるいは隣り近所の人々との間でうまくやっていけなかったり、気まずい思いをしたりしています。いじめや対立が多くの人々の心を悩ませて、社会問題にさえなっています。国と国との間、民族と民族との間にも対立があり、戦争や内乱により町が破壊され多くの人々が傷ついたり亡くなったりしています。人間同士が憎み合ったり殺し合ったりするのはどう考えてもおかしいのです。けれども、それを防げないために、多くの尊い命が奪われ、苦労して築き上げたものが破壊され、人々の苦しみが増し加わるのです。

 今度アメリカの大統領に選ばれたオバマ氏は対話外交を積極的に取り入れて、武力によらないで平和を取り戻す努力をしようとしています。もちろん、そう簡単なことではないでしょうが、多くの人々がそれに期待していることを私はうれしく思います。

 このような人と人との悲劇的対立関係を解消するために、私たちには何が出来るのでしょうか。聖書は「互いに祈り合いなさい。」と教えています。互いに他の人のことをとりなして祈るのです。

 「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(ピリピ4章6節)と聖書にあるよう、神は自分のことを願って祈る祈りも聞いてくださいます。

 けれども、祈りにはもうひとつの大切な役割があります。互いに祈り合うことです自分のためだけではなく、他の人のことを神にとりなして祈るのです。私はそういう祈りを大切にしたいと思います。なぜなら、祈ることによってその人の幸せを真剣に願うようなるからです。

 人はお互いを良く知らないでいると、つい警戒するあまり良い関係を作る事が難しくなってしまいます。自分を守るあまり、知らない相手に警戒心や敵意を持つようになることもあります。

 けれども、人のために祈り始めると、状況は一変します。その人のことが良く分かってきます。自分と同じ悩みや心配ごとがあったりすれば、よりいっそう親しみを感じるようになり、その人のために真剣に神の助けと祝福を願うようになります。もうその人に無関心ではいられません。まして敵意や憎しみを持ったりはしません。かえって、その人の幸せを願い、良い友、良い隣人、良い家族となれるよう努めます。祈り合うことは敵意や警戒心の垣根をなくし、心を一致させ、神に目を向けさせてくれます。神はそういう一致した祈りを喜んでくださいます。

 もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18章19節)

 誰もが心の奥では人の役に立ちたいという願いを持っているのです。ただ、そのきっかけを見つけることが出来ないのです。人の役に立つことが出来れば、どんな苦労も消えて大きな満足と喜びを感じます。人のためにとりなして、互いに祈り合うことはその第一歩を踏み出すことです。

 互いに必要を告白し、祈り合うことによって誰もが弱さを持っていることが分かり、安心して互いに心を開けるようになります。同じ弱い人間なのだという安心感がお互いの心を近づけ、助け合いたい、役に立ちたいという思いが起こってくるのです。家族の間においてはなおさらです。

 イエスは主の祈りの中で「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」と祈るようにと教えておられます。(マタイ6章12節)

 だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ローマ15章7節)

 祈り合い、互いに受け入れ合うことは神のご意思に従うことであり、神が期待しておられる人間関係を築くことです。それゆえに、人と人とが本来あるべき関係を持てるようになるのです。

 互いに祈り合うことは、隣人を思いやり、隣人を愛するきっかけを作ってくれます。隣人を愛することは隣人に愛されることでもあり、そこに誰もが願っている平和が生まれて来るのです。

 ですから、イエスが「あなたの隣人を愛しなさい。」と教えておられるのは、隣人のためではなく、私たち自身のためであったことが分かります。イエスは「あなたの幸せのために、あなたの隣人を愛しなさい」と教えておられるのです。

 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。これより大事ないましめは、ほかにない」。(マルコ12章31節)

 隣人を愛する時、憐れみや同情からではなく、自分自身を愛するように本心から愛するのです。おそらく誰もが「それは難しい」と思われることでしょう。けれども、思い出してください。それは自分もそれと同じように愛されることを意味するのです。

 イエスが「敵をも愛しなさい」と言われた時、多くの人が「それは不可能に近いことだ」と感じたに違いありません。しかし、本当の勝利は、敵を敵として打ち破ることではなく、敵を自分の味方にすることによって勝利することです。そうすれば、もう敵ではなくなった相手は二度とあなたを襲ってはきません。

 車の運転をしている時よく見かけるのですが、誰でも人よりも少しでも先に行きたいという思いがあります。ある人は機会さえあれば割り込みをしてでも人より先に行きたいと思っています。すると、相手もそんなことはされたくないと思って割り込まれないようにします。それはどちらにとってもとても危険な状態です。けれども、自分から進んで譲った時、相手も感謝の合図をしてくれると、自分が譲ってもらったようなとてもいい気持ちになります。それは、数分早く目的地に着くこととは比べ物にならない喜びを与えてくれます。その時、お互いに相手の安全を祈り合うことも出来たとしたらどんなに素晴らしいことでしょう。

 イエスは言われました。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ7章12節)

 律法も預言者の教えも、もともとは神があなたの人生を祝福するために与えられたものです。互いに祈り合うことも隣人を愛することも、あなたの人生が豊かで実りあるものになるためです。

 あなたは愛されています。           

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛