祝福のメッセージ
レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200903
永遠に変わることのない主
今日の聖書、使徒の働き10章38節を見ますと、「イエスは聖霊と力を神から注がれて、良い業を行ない、悪魔にしいたげられている人々をお癒しになった。」とあります。悪魔によるしいたげとは何でしょう。罪、病気、悪の霊、そして恐れ。イエスはこの世においでになって人々の罪を赦し、人々を罪の束縛から開放なさいました。そして、新しい清い人生を生きる力をお与えになりました。
ある日一人の女が捕らえられてイエスの前に引き出されてきました。彼女を引きずり出して来た人々は言いました。「この女は姦淫の現場で捕らえられたのだ。我々の掟ではこの女は石で打ち殺されなければならない。姦淫する者は石打ちにせよと聖書にある。」しかし、イエスは一言、こう言われました。「罪の無い者がまず石を投げなさい。」1人また1人と皆立ち去って行きました。イエスは女に言われました。「私もあなたを罰しない。もう罪を犯してはいけません。」
このイエスは今も生きておられます。主は私たちの罪を赦し過去をことごとく消し去って私たちの人生を変え、新しい人に造り変えてくださるのです。
病気についてもたくさんの例をあげることが出来ます。主は多くの病人を癒し、足の悪い人を歩かせ、盲人の目を開き、死人さえ生き返らせました。イエスは神の御霊によって良い業を行ない、悪魔にしいたげられている人々をお癒しになったのです。病気によるしいたげもイエス・キリストによって取り除かれました。バルテマイという盲人がその良い例です。通りかかったイエスに彼が大声で呼びかけると、イエスは「何をしてほしいのか。」と言われました。彼が「主よ、見えるようになりたいのです。」と言うとイエスは彼の目を癒し、見えるようになさいました。このイエスは今も生きておられます。聖霊によって私たちのすぐそばにいてくださいます。
イエスはある日、墓場を住みかとしている人に出会いました。彼は汚れた霊に取り付かれ、精神的にも肉体的にも支配されていました。
イエスがこの人を悪い霊の支配から完全に解放なさると、彼の精神は正常に戻りきちんと着物を着てイエスの足元に座りました。イエスは彼の必要を精神的にも肉体的にも霊的にも物質的にもお満たしになったのです。イエス・キリストに出会ったその時、彼は変えられました。
誰にもさまざまな恐れが心に迫っています。老いていくことの恐れ、お金がなくて生活が成り立たないという恐れ、もしかしたら、神は私の祈りを聞いてくださらないのでは・・・という恐れ。全ての恐れはサタンから来ますが、信仰と平安は神から来るのです。イエス・キリストが与えてくださるのは信仰と平安です。恐れではありません。
ヤイロという人はイエスのもとに行ってこう頼みました。「娘が病気です。どうかおいでください。このままでは死んでしまいます。」イエスはすぐに出発なさいましたが途中で少し手間取っているうちに、使いの者が来て言いました。「もう先生に面倒をおかけすることはありません。お嬢さんはなくなりました。」おののくヤイロに、主は言われました。「恐れないで、ただ信じなさい。」なぜなら、主を信じる者には全てのことが可能になるからです。主はその日ヤイロの娘を生き返らせてくださいました。主は不信仰な者たちをみな部屋から追い出してこの奇跡をなさったのです。イエス・キリストは昨日も今日も永遠に決してお変わりにはなりません。かつて大いなる事をなさったイエスは今日も同じイエスです。十字架のあがないは現代のあなたや私にも有効なのです。イザヤは予言してこう言いました。
「彼は私たちの罪のために傷つけられ砕かれた。彼へのこらしめが私たちに平安をもたらし、その傷によって私たちは癒された。」
イエスはカルバリーで十字架にかけられました。それは、彼の命を代償に私たちの罪が赦され、神の平安を与えられ、聖霊の力を受けて人生の戦いに勝利するためです。神が今日あなたを導いておられるのは、あなたに必要な人生の奇跡をあなたのために行なうためです。
あなたは今、心の癒しが必要ですか。体の癒しが必要ですか。経済的な癒しも必要ですね。家庭にもお互いの間に癒しが必要です。
ヤコブの手紙5章にこうあります。
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
この聖書のことばを信じますか。神は聖霊の力を今ここに注いで、今日あなたが必要としている人生の奇跡を行なってくださいます。