祝福のメッセージ:2009ー04

 祝福のメッセージ

レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より

No. 200904

ヨナの選択、従順か不従順か

 

 今日の聖書は旧約聖書のヨナ書です。1章1-3節を読みます。

 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。

 神はヨナにこう言われたのです。「ニネベの町には12万人にのぼる良心の麻痺した人々がいて罪の中に生きている。それゆえに行って彼らに忠告しなさい。もし罪を悔い改めなければ滅びが来ると。」

 主の言葉には目的がありました。ヨナが主の言葉に従うことでした。

 しかし、聖書を見るとヨナはニネベに行くのを嫌がりました。わけはいろいろありますが、その1つは、ヨナの偏見でした。「彼らは神の選民ではない。異邦人がどうなろうと知ったことか。災いや危険が彼らを襲うと言うならそれこそ我々には好都合だ。」こういう気持ちがあったので行きたくなかったのです。ヨナは自分が快く思っていない人々を愛して神のメッセージを伝え神の祝福を与える心の広さがありませんでした。他にも理由はあったでしょうが、彼が決断を迫られていたのは確かです。神の命令に従うか従わないかどちらかです。

 男性でも女性でも、お年寄りでも若い人でも、どなたであろうとも、決断を迫られているのです。その決断しだいで、神に近づくことも神の御許から遠ざかることにもなるのです。

 神は人を作りご自分の息を吹き込まれました。ですから、人は誰でも善悪の区別を知っています。良心を持っているのです。盗みをすれば心の中で「そんなことをしてはいけない」と言う声がします。誰かをいじめれば心の中で「いけないよ」と言う声がします。その良心を通して神は私たちにお語りになります。でも注意しましょう。私たちはその良心を麻痺させることによって神の声を拒むことがあります。良心の声を無視して罪を犯し続けるからです。そうしているうちに、いつか罪を犯しても何の良心の呵責も感じなくなってしまうのです。ですから、あなたの持っている一番大きな宝はあなたが善と悪を区別出来ることです。あなたにはまだ良心があります。

 時には主のことばは牧師や宣教師の口を通してあなたに伝えられます。何が正しく何が間違いか、何をすべきか、すべきではないのか。

 さて、ここでヨナは神のご命令に従うことを拒み神の前から逃げ出してヨッパに向かいました。そしてヨッパの港に着くとタルシシュ行きの船に乗りました。そして彼は船底へ降りて眠り込んでしまいました。彼は散々悩んだあげく、神に背いたのですが今は眠っています。良心の呵責はもう感じなくなり神から離れて行くのです。しかし眠りは長続きしませんでした。心では神の声を忘れることは出来ません。

 海の真中まで来た時、大嵐が襲いました。水夫たちは「誰かが神を怒らせたに違いない」と言い合っていました。そこで、ヨナは起き上がって言いました。「悪いのは私だ。私を海に捨ててくれ。それで嵐は静まるだろう。」聖書によると、彼らがヨナを海に投げ込んだ時、神は大魚を備えて、投げ込まれたヨナを飲み込ませなさいました。

 よく覚えておいてください。あなたが神に背くと神の御霊はあなたに語りかけ、あなたの人生に入り込んだ悪い習慣や罪を悔い改めるようお迫りになります。神の声を良く聞いてください。それを無視するのは、嵐の海に飛び込むことです。大魚があなたを待ち構えています。

 長い人生を歩んで来て私はこういう言葉を聞きます。「ああ、もっと早く悔い改めて神との正しい関係をもっておけばよかった。」彼らは人生で多くの悲しみと失望を経験して来たのです。ちょうど大魚に飲まれた時のようです。けれども、たとえ罪を犯しても神は愛です。

 ヨナには二つの道がありました。彼は魚の腹の中で海草に絡まれ小魚などの脂肪がくっつき息が詰まりそうでした。大魚はヨナを消化しようと懸命だったからです。ヨナは決心をしました。愚かなことをしてしまったと悟り全てを神に委ねて祈りました。全能の神は彼を哀れんでくださいました。魚はこんな奇妙なものを食べたのは初めてだと言わんばかりに陸地目指して口を大きく開けてヨナを吐き出しました。ヨナは陸に上がるとここでもひざまづいて神に祈りました。それから一目散にニネベに向かいました。遅れを取り戻そうと大急ぎでした。

 「おいヨナ。慌ててどこへ行く。」  「ニネベさ。」  「一緒に飯でもどうだ。」  「いや時間がない。」  「今日は旨い物があるぞ、活きのいい魚さ。」 「魚はもうこりごりだ。」こんなことを言ったかも知れません。

 ニネベまで3日の道のりを彼はたった1日で歩き通しました。彼は叫びました。「悔い改めなさい。さもないとこの町は滅びます」これを聞いて人々は罪を悲しんで、神の前に悔い改めたのでした。そこで、神はその町をお救いになりました。

 従順か。それとも不従順か。あなたのたどる道はどちらですか。