祈りの家族への手紙:2009-09

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。
 私は今月70歳になりました。まだまだ元気ですが、自分の人生の役割が主の前に何であるのかを深く考えさせられています。

 モーセは200万人に及ぶイスラエルの民を引き連れてエジプトを出たとき80歳でした。約束の地をめざして荒野を行く厳しい40年の旅路の始まりでした。

 私はあらゆる点で彼の足もとにも及びませんが、あのような偉大な人物でさえ、神の助けがなかったらイスラエルの民を約束の地に導き入れることは出来ませんでした。まして、平凡な私が祈りの家族の皆さんを間違いなく安全に神の約束である永遠の命への道案内をすることは、神の憐れみと助けがなければ不可能です。

 この手紙を書くにあたり、私は祈りの家族の皆さんの名前を前にして、お一人お一人のために祈りました。そして、「この方たちのために私には何が出来るのでしょうか」と神に尋ねて、こう告白しました。「私は主を信じ、主に感謝し、主を愛し、ただ主と主の教えに従いたいと願っています。」その時、私の心に響いた聖書の言葉は、イエスがペテロに言われた言葉でした。「わたしの羊を養いなさい。」(ヨハネ21章17節)この聖書の言葉は、他の翻訳では、飼いなさい、世話をしなさい、あるいは、牧しなさい、となっています。

 イエスが捕えられて連れて行かれる時、遠くからその様子を見ていたペテロは、周りの人々から「あなたもあの人の弟子だった。」と言われて、「私はあんな人とは関係がない。あの人のことは知らない。」と3回も言ってしまいました。ですから、後になって、「私を愛するか。」とイエスに3度も尋ねられた時は、自分の無力さ、ふがいなさをいやというほどおもい知らされていたことでしょう。それでもイエスはペテロに「わたしの羊を養いなさい。」と言われたのです。ペテロは生まれ変わったように、命がけで、初代教会のクリスチャンたちの指導と世話をしました。そして、ついに殉教の死を遂げたと伝えられています。

 イエスは私たちにも同じように期待しておられます。けれども、全ての人がペテロのように歴史に名を残すような大きな働きをすることを求めておられるのではありません。殉教の死を遂げることを期待しておられるのでもありません。どんなに力がないと思われても、ふがいなさを感じていても、イエスはあなたに期待しておられるのです。イエスはきっと私にも期待してくださっているに違いありません。それは、私にその力があるからではありません。主の力によって、たとえ、ささやかでも私に与えられた使命を果たすのです。そうすれば、いつか、「私の人生は無駄ではなかったのですね。」と言って安心して神の懐に飛び込んでいくことが出来ます。

 イエスが「私の羊を養いなさい。」あるいは「飼いなさい」、「世話をしなさい」といろいろな意味にとれる言葉を使われたのは、その言葉が教会の信者を牧会することだけを意味しているのではないからです。私たちの周りの人々はすべて、イエスの羊です。あなたの周りの人々もみな、あなたに託されたイエスの羊です。その人たちの人生に末永く残る優しい言葉や思いやりのある導きと助けは、イエスの羊を養うこととみなされるのです。

 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25章40節)

 よい行いはもともと私たちが作り出すものではありません。神があらかじめ備えてくださっているのです。ですから、誰も自分の良い行ないを神の前に誇ることはできません。私たちに良い行いが出来たことを神に感謝し、それによって私たち自身も喜ぶことが出来るためです。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2章10節)

 私に託されたイエスの羊とは、もちろん祈りの家族の皆さん一人一人のことです。

 今日のような厳しい状況の中では私たちは毎日の生活の中で時には砂漠の中を歩くような厳しさや危険を経験することがあります。嵐もあり日照りも続きます。時には毒蛇の大群に出会うようなこともあるかも知れません。病気もあり、飢えや乾きが襲ってくることもあります。けれども忘れないでください、イエスがあなたの人生をともに歩んでくださっているのです。イエスの導きと約束から目を離さないでいるなら、あなたは全ての危険から守られます。

 砂漠を旅したイスラエルの民はあらゆる困難や危険に遭遇しました。明日は何があるか分かりませんでした。けれども、ひとつだけ確かなことがありました。それは、昼は雲の柱、夜は火の柱によって象徴されていた神の臨在があって、いつも彼らを見守って導いていたことです。彼らが神の導きに忠実に従っている限りは、あらゆる危険を免れることが出来ただけでなく、日々の必要さえ満たされたのです。神の約束と導きを忘れないよう励まし、無事に約束の地にたどりつかせることがモーセの使命でした。

 私たちは聖書とイエスの言葉を通して神の御心が何であるかを知ることが出来ます。それによって、何が神に喜ばれることであり、私たちにとっても益となるものであり、さらに、永遠への備えにも役立つことであるかを見極めることが出来ます。私たちは互いに祈り合い、励まし合い、助け合って日々それを行なうことによって、栄光ある神の国への旅路を楽しく進もうではありませんか。あなたのためにお祈りしています。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛