祈りの家族への手紙:2009-10

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 あなたは今、大きな試練の中を通らされてはいませんか。

 今はあらゆる面で危機の時代だと言われています。不況や就職難、医療や介護の行き詰まり、食物や環境の汚染、治安が悪化し、詐欺やひったくりの危険が迫り、自殺者も後を絶ちません。

 この不況は、一部の金融業者たちによって世界的な規模で仕掛けられた利益追求の仕組みが崩壊したためであると言われています。それによって、関係のない多くの企業や一般の人々に不安が及んでいるのです。誰もが先を争って利益を追求する時代ですから誰が悪いと言っても仕方がありません。ただ、そのあおりを受けて窮地に立たされ困っている人々が気の毒です。

 こういう時代ですから、「問題はありませんか。」とたずねる方がおかしいかも知れません。そういう中でも、特に手に負えないような大きな問題に巻き込まれて悩んではおられないかと心配しています。もしそのようなことがありましたら、ご一緒にお祈りしましょう。

 私はあるやむを得ない事情から保証人を引き受けてしまったため、その結果不本意にも裁判になるところでした。裁判はどちらの言い分が正しいかを公平に判断してくれるものですから、決して悪いことではありませんが、その行程では互いに争わなければなりません。それは私が一番やりたくないことです。理屈を通して相手を説得することが苦手だからではありません。ただ、そういうことをしたくないだけです。相手の言い分を否定して、対立しなくてはならないのです。思いやりを示したり、同情したりする余裕はありません。裁判の目的は、自分の主張を通して相手に勝つことだからです。相手の事情を考えていたら裁判には勝てません。相手のことを考えると、その気持ちを理解してあげたくなるからです。もし相手の事情をいっさい考えないで自己主張だけをしていると、すべての点で互いに憎み合うようになります。たとえ裁判に勝てたとしてもその人格的な損害はあまりにも大きなものになってしまいます。憎しみは表面だけで相手を判断します。けれども、愛は相手の心の中を見ます。

 人はうわべを見るが、主は心を見る。(サムエル16章7節)

 私たちが相手の事情を無視して、当面自分の利益になることだけを考えて行動していると、ものごとの背後にある大切なものが見えなくなり、うまくいかないことを全て周りのせいにしてしまいます。人を恨んだり憎んだりして長い人生を生きるのは、あまりにももったいないではありませんか。むしろ、たとえ損をしても、愛と思いやりを持って行動する方がよほど祝福であり大きな得になります。

 神は、私たちの目には負の財産と思われるものでも、それ用いて益をもたらしてくださる方です。私たちにとって損と思えることを用いて、私たちを豊かにしてくださるのです。

 神は私たちの人生を最初から最後までを見据えておられます。不当な損害を被って苦労しても、ずる賢く立ち回って得をしても、私たちの人生の全体を見渡しておられる神は、全てを愛と正義に基づいて公平に裁いてくださるのです。ですから、安心して全てを神の手に任せ切ることが出来ます。祈る時も「こんなことは」と思わないで、どんなことでも神に願っていいのです。そうすれば、神はあなたの祈りを正しく導いてあなたへの最善を行なってくださいます。

 神は私たちを訓練なさる時にも同じ原理をお用いになります。

 今あなたが直面しておられる困難は、あなたに対する神の愛から出たものかも知れません。まもなく大きな祝福のきざしが見えて来ます。神は決してあなたをお見捨てにはなりません。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8章28節)

 親は子どもを訓練します。愛するからこそ、将来に備えて立派な人間になってほしい、多くの人々に愛され、尊敬され、有意義な人生を生きてほしいと願うからです。親は自分の限られた知恵でしつけや訓練をするため、しばしばその訓練は不完全であり、不適切で間違っていることもあるかも知れません。それでも、愛から出たものである限り親を愛し信頼もするのです。やがて、大人になった時、どんな形にせよ、それが役に立っていたことに気付くことでしょう。背後にあった親の愛が分かるようになるからです。

 まして、全知全能の神は最も必要な時に最も適切な訓練の時を私たちに与えてくださいます。ですから、あなたの荷が重すぎる時は主にすがってください。あなたの試練が厳し過ぎる時は素直に助けを求めてください。愛の故に、神があなたから目を離すことは決してないからです。神はあなたの人生を大いに祝福し、豊かな恵みで満たしたいのです。

 「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。  すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」 (ヘブル12章10‐11節)

 私の友人に犬をとても可愛がりわが子のように大切にしている人がいます。少しでも長く生きられるよう毎日手入れをし、清潔にし、きちんとしつけをしています。犬にとって風呂に入れられ、爪を磨かれることは不当な苦しみと思えることでしょう。まして、予防注射や歯磨きは何のための痛みか分かりません。けれども、そのように扱われ訓練されているので、清潔な環境の中で何の心配もなく懐に抱かれ、長年にわたって可愛がられるのです。

 神はイエス・キリストの十字架によって私たちの罪を完全に取り除いてくださいました。今私たちは永遠の命を受けるにふさわしい神の子としての訓練を受けているのです。その訓練の一つ一つに神の愛を感じて喜ぼうではありませんか。過去の自分と比べると神がどんなに大きな恵みによって私たちを高め強め引き上げてくださったかが分かります。その恵みはこれからも続き、やがて、しみやしわの類のいっさいない完全な者となって、何の心配もなく神の懐深くに抱き入れられ、いつまでも、永遠にともにおらせていただくことが出来るのです。

 今あなたが直面しておられる困難や問題を全て神の手にお任せして、祈りつつ正面から取り組んでください。私もお祈りしています。そうすれば、神が全てをあなたの益としてくださいます。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛