祝福のメッセージ
2009年クリスマスのメッセージ
No. 200912
イエスの母マリヤの生涯
聖書の中に出て来るどんな人物と比べてもマリヤほど救い主イエス・キリストと近い関係にあった人はいません。マリヤ自身もこう告白しています。
「ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」ルカ1章48節
救い主が人としてこの世にお生まれになるために神がお選びになった女性がマリヤでした。神は彼女のどんなところに目をおとめになったのでしょう。
マリヤが高貴な家柄だったからでもお金持ちだったからでもありません。高い教養を持っていたからでも有名な人物だったからでもありません。マリヤが神を敬いその約束のことばを信じて全面的に神に自分をゆだね切ることのできる人だったからです。
御使がマリヤのもとを訪れて受胎告知をした時、マリヤは答えました。
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1章38節)
その時マリヤがそう答えたから神はマリヤをお選びになったのではありません。マリヤがそのような人物であることを神は知っておられたのでマリヤをお選びになったのです。
確かにマリヤは神に選ばれた幸いな人物でした。けれども、それだけではありません。イエスが誕生して間もなく、イエスとマリヤを祝福するためにやって来た予言者シメオンはこう告げました。
「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」(ルカ2章35節)
マリヤは、人類の救い主が自分の体内でその体が造られていくのを日々感じることが出来ました。イエスの母となる特権におののきつつも喜びに満ちていました。けれども、マリヤの使命はそれだけではありませんでした。
マリヤの心を刺し通す剣は、すぐにやってきました。婚約者のヨセフが妊娠している自分をどう思うだろうか。真実を理解してくれるだろうか。心配で夜も眠れなかったに違いありません。けれども、マリヤは神のことばに信頼を置きました。幸い神の御使いはヨセフにも同じことを告げてくださっていました。
間もなくローマ皇帝アウグストから人口調査の命令が出ました。全ての人が自分の生まれ故郷で登録をしなければなりません。身重だったマリヤもヨセフと共に故郷のベツレヘムへ行かなければなりませんでした。臨月近い女性の長旅は大変です。マリヤはどんなに不安だったことでしょう。剣で胸を刺される思いでしたが、ローマ皇帝の命令に背くことは出来ませんでした。
旅の途中でマリヤに出産の時が来ました。折しも宿屋はどこも超満員でした。ヨセフが必死で駆け回ったにもかかわらず、馬屋の片隅を使わせてもらうことがやっとでした。生まれたばかりの幼子イエスは飼い葉桶に寝かされました。母親の胸は剣で刺されるほどのつらさだったことでしょう。けれども、それだけでは終わりませんでした。
出産直後しかも生まれたばかりの幼子を連れて、またもや長い旅路に出なければなりませんでした。「ヘロデの命令で2歳以下の子どもは全て殺されることになったから、エジプトへ逃れなさい。」と御使いからの知らせを聞いたからです。こんな長い旅に幼子が耐えられるだろうか、何かが起きたら対応できるだろうか。マリヤは心配で胸を剣で刺しとおされる思いがしたでしょう。けれども神のことばに信頼して出発しました。
イエスが12歳の時でした。家族と親戚がそろってエルサレムに上りました。
ガリラヤからエルサレムまでは数日間の旅路でした。家に帰る途中でマリヤはイエスが一緒にいないことに気がつきました。子どもがいなくなった母親は気が狂ったように探し回るものです。マリヤも例外ではなかったことでしょう。しかし、それよりももっとマリヤの心を刺したのは、イエスの言葉でした。
「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」母はこれらのことをみな、心に留めておいた(ルカ2章49、51節)
マリヤの心を最も強く深く剣で刺し通したのは十字架でした。傷だらけになっている我が子の体が十字架に釘で打ちつけられているのです。血にまみれた顔が痛みのために歪みます。苦しそうに体を上下して息を継いでいる我が子を目の前にして、母の心はズタズタでした。けれどもマリヤは神のことばを信じていました。我が子として育てたイエスは全人類の罪を背負ってその身代わりとなって死ななければならないことを。神は終始マリヤの心をご存じでした。
イエスは十字架の上から、弟子のひとりにマリヤを示して語りかけられました。
「あなたの母です。」それから、マリヤに言われました。「あなたの息子です。」
それ以来、その弟子がマリヤを引き取りました。マリヤの告白はどんな時にも終始同じでした。「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますよう。」
私たちの告白も常にこうありたいと思います。どんな時にも、どんな状況に出会っても「あなたのおことばどおりにこの身になりますよう。」
そうすれば、イエスの体がマリヤの胎内で日々つくり上げられていったように、私たちの中にも日々イエスの御姿がつくり上げられていくことでしょう。すると、それを見た人々が、あなたを「幸いな人」と呼んでくれることでしょう。
クリスマスおめでとうございます。