親愛なる祈りの家族の皆様。
あなたは命の源をご存知ですか。
新しい年になってカレンダーが変わると、古いものが過ぎ去って、全てが新しく始まる様なすがすがしい気持になります。そのような新鮮な気持は、たとえしばらくの間だけであってもとてもいいものです。最後のゴールにたどり着くまでは、絶えず新しい挑戦を続けるべきです。
ある人が著書の中でこう書いていました。
「人は命の源を知った時、はじめて恐れなく平安のうちに死と直面することが出来る。」
命を豊かに与えてくれる命の本源に出会ったら、大切にしていた自分の命さえ安心して手放すことが出来るというのです。いつも心にかかっている生きるためのこまごまとした思い煩いも大きな問題とは思わなくなります。命の本源そのものを、もう見つけたからです。
乾き切った砂漠を何日も歩き続ける旅人は水筒の水を何よりも大切にします。いつなくなってしまうかを心配しながら残っている水を少しも無駄にしないように注意深く使い続けます。水がなくなってしまったら、砂漠では生きていけないからです。けれども、ついにオアシスにたどりついて、こんこんと湧き出る泉に出会ったとたん、その喜びのゆえに今まで命のように大切にしていた水筒の水のことはもう気にする必要がなくなります。限られた水筒の水ではなく、限りなく湧き出る水の源にたどり着いたからです。
私たちは水筒のような小さな体にわずかな命の水を持っているようなものです。決して粗末にしてはいけませんが、もし、永遠の命の源にたどり着いているなら、命の水が少しづつなくなっていくことをそれほど気にしたり恐れたりする必要はありません。いくらでも汲むことが出来る命の水の源を知っているからです。
私たちの命の源はイエス・キリストにあります。
幼子イエスに初めて出会ったシメオンという人物の言葉がそのことを良く表しています。
エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2章25-30節)
シメオンは「私は救い主をこの目で見たので、もう何の心配もなく、いつでもこの世を去る用意が出来ました。」と言っているのです。この方こそ命の源、永遠の命の与え主です。
イエスは言われました。
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 (ヨハネ4章14節)
もう何年も前のことですが、私は家族と一緒にヨセミテ国立公園で数日間キャンプ生活をしたことがありました。その時の経験は今も忘れません。そびえ立つ山々のふもとから流れ出る大きな川は深く広く、その水はどこまでも澄み切っていて、そのまま飲めるきれいな水でした。見ているうちにその計り知れない量で勢いよく流れ出る水が、私をのみ込み私の中に注ぎ込まれて来るような不思議な気がしました。これをそのまま、水を必要としている人に供給することが出来たら、乾き切った大勢の人々が十分に使っても尽きることはないだろうと思いました。
イエスを信じたときから私たちは命の水にたどり着いているのです。もう心の渇きを感じたり、満たされない気持にさいなまれたりすることはありません。何か他のもので自分の心を満たす必要もありません。安心して神の栄光となる生きかたをすることが出来るようになります。私たちの全ての必要を満たしてもなお余りある命の水の源を自分の心ではっきりと知った時から、自分のことばかりを気にしないで、人々に喜ばれるようのびのびと生きていけるようになるのです。与えても与えてもなくならない永遠の命の水が自分の中から湧き出て、いつも喜びと平安に満たされるようになるからです。
あなたはイエス・キリストを命の源、永遠の命の与え主として知っておられますか。
もし、命の与え主を知ったなら、何も心配する必要はありません。どんな困難も、逆境も、あなたに対しては何の力もありません。誰もあなたから命の源を奪い取ることは出来ません。
日本人の寿命は世界一であると言われています。確かにこの頃は元気なお年寄りをたくさん見かけるようになりました。それ自体は大変良い事です。けれども、人はどんなに長生きしても永遠に生きられるわけではありません。医学が進歩して多くの人が長生きをするようになった反面、それだけ多くの人々が死の現実に直面しようとしているのです。死の恐れを克服することは私たち人間が地上において課せられている最後の仕事であると私は思っています。
私たちクリスチャンはイエス・キリストの十字架の死と復活によって死に勝利しています。もはや死は終わりではなく、永遠の滅びではなくなりました。
ですから、永遠の命を約束されている私たちと、その約束を持っていない人々とでは死に直面する時に大きな差があります。未知の経験に突入する恐れは誰にでもあります。あなたも私も、誰もが経験しなければいけないのです。その経験を神の栄光を表わす機会とするためには、確信を伴なった支えが必要です。それが永遠の命の源であるイエス・キリストを知ることです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14章6節)
どうか、命の源であるイエス・キリストをもっともっと深く知ってください。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛