祝福のメッセージ:2010ー02

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201002

② 救い主の先駆者バプテスマのヨハネ


 イエス・キリストの生涯をひも解くに当りバプテスマのヨハネのことを無視することは出来ません。彼はイエスの両親マリアとヨセフに次いで重要な人物でした。後にイエス自身もこう言っています。「まことにあなた方に告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」(マタイ11章11節)

 彼は福音書の著者の一人である使徒ヨハネとは別の人物で、誕生前からその人となりがルカの福音書に預言されていました。バプテスマのヨハネの誕生について記録しているのはルカの福音書だけです。彼の父親は祭司でした。

 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。(ルカ1章5、6節)

 二人のもとに主のみ使いがおとずれて、救い主の先駆者となる人物が彼らに生まれることが告げられました。年老いた彼らにとっては二重の喜びでした。彼らに子どもが与えられることと、待ちわびていた救い主がもうすぐ来られると知らされたことです。しかも、彼らの子どもがその先駆者となるというのです。

 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。(ルカ1章14‐17節)

 「エリヤの霊と力で主の前触れをする。」とは旧約聖書の最後の書、マラキ書の一番終わりに書かれている言葉の引用です。

 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。(マラキ4章5、6節)

 それゆえに、旧約聖書に精通していたユダヤ人たちは、ヨハネをエリヤの再来ではないかと思ったのです。バプテスマのヨハネはそれを否定しましたが(ヨハネ1章21節)イエスは言われました。「あなた方がすすんで受け入れるなら、実はこの人こそ来たるべきエリヤなのです。」(マタイ11章14節)

 預言者マラキによるこのことばを最後に旧約聖書の預言は終わり、イスラエルの民族は400年間、神のことばをいっさい聞くことが出来なくなりました。

 この400年間は神の沈黙の期間となり暗黒の時代と呼ばれています。400年の沈黙を破って再び主のことばが告げられたのは、祭司ザカリヤであり、バプテスマのヨハネ誕生の預言です。神のことばに耳を傾けることを忘れていた人々の心を神に向けさせ、救い主の到来の備えをする使命をバプテスマのヨハネは与えられていました。こうして主の道を整える先駆者となったのです。

 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」(イザヤ40章3-5節)

 バプテスマのヨハネは文明を離れ荒野で生活をして神と交わり、人々に洗礼を授けていました。それゆえ、バプテスマ(洗礼)がその名につけられました。彼の洗礼は、罪を悔い改めて神に立ち返らせるためでした。(マルコ1章4節)彼は叫んで言いました。「悔い改めなさい。」(マタイ3章2節、ルカ3章8節)

バプテスマのヨハネのもう一つの大切な役目は救い主を人々に指し示すことでした。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネ1章29節)。「私より力のある方で、私など、この方の靴のひもを解く値打ちもない。」(マタイ3章11節、マルコ1章7節、ルカ3章16節)と言いイエスを人々に紹介しました。

 バプテスマのヨハネは人々の罪を厳しく指摘して悔い改めを迫りました。多くの人々が彼の教えを受け入れて罪を離れる決意をして洗礼を受けました。けれども、イエスが教えを始められると、バプテスマのヨハネのことは忘れられていきます。彼の役目は終わったからです。彼自身がこう証言しています。

「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3章30節)

 やがて、彼はヘロデ王の罪を大胆に指摘したため捕えられ牢獄で殺されます。バプテスマのヨハネは救い主の到来の道を整えるために、「しばらくの間燃えて輝くともしび」(ヨハネ5章35節)として、その役割を果たしたのです。