祝福のメッセージ:2010ー04

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201004

④ キリストの系図と少年時代のイエス

 前回まではイエス・キリストの誕生にまつわる出来事を学んでまいりました。今回はイエスの生涯の始まりの部分を学びます。

 新約聖書を読む時、誰もが最初に直面するのはマタイの福音書の冒頭にあるイエス・キリストの系図です。わけの分からない外国人の名前がずらずらと42代にわたって延々と続くと、せっかく聖書を読む気になった人をがっかりさせてしまいます。いったいこの名前に何の意味があるのでしょう。

 今回のシリーズを始めるに当って、マタイの福音書はユダヤ人のために書かれたと申し上げました。ユダヤ人にとって、この系図はとても重要です。ユダヤ人は旧約聖書に精通し、そこに書かれている神の約束を信じています。旧約聖書には「救い主であるユダヤ人の王はダビデの子孫として生まれる」とあります。旧約聖書をよく読んでいる方なら、この系図の中に出て来るほとんどの名前には聞き覚えがあり、どんな人物だったのかを思い出すことも出来て、親しみが持てることでしょう。ましてユダヤ人は、ここに出てくる40人以上の名前の全てをよく知っていたに違いありません。ですから、イエス・キリストが旧約聖書に約束されている救い主であることを、この系図をたどることによって証明しようとしたのです。一方ルカの福音書では3章で、イエスが成人して教えを始められた時、イエスの系図を別の資料から引用し、時代を逆にさかのぼる形で記述しています。

 このようにイエス・キリスト誕生にまつわる出来事はマタイとルカの福音書が細かく記録しているのに、イエスの幼い時代の事や、少年時代の事はほとんど記録されていません。イエスがいつ、どのようにしてご自分が救い主であることを自覚されたのか、はっきりとした記録がありません。ある限られた地域やグループによる言い伝えや物語を聞いたことがある方もおられるかも知れませんが、それらは、信仰を励ますための作り話がほとんどで、歴史的な信頼性はありません。

 一方、マルコとヨハネの福音書では、いきなり青年となったイエスが神の国について教え始められた時からの記述で始まっています。

 ルカの福音書2章にだけイエスの少年時代の出来事が書かれています。

 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。(41-43節)

 イエスの誕生後、両親はヘロデの追っ手を逃れてしばらくエジプトに住んでいましたが、ヘロデが亡くなったことを聞くとガリラヤ地方のナザレという村に住むことになりました。

 イエスの一家は毎年過ぎ越しの祭りにはエルサレムに行きました。過ぎ越しはユダヤ人にとって大切な記念行事だったからです。イエスが12歳の時にも両親や親戚の一行と共に過ぎ越しを祝うためにエルサレムに行きました。帰路、両親はイエスも一行と共にいるものと思い、1日の旅を続けましたが、夕方になりイエスがどこにもいないことに気がつきました。心配した両親がイエスを探しながら3日間もかけてエルサレムまで戻ってみると、なんとイエスが神殿の中で学者たちの話を聞いたり質問をしたりしているではありませんか。心配のあまり母マリアは「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」とイエスを叱ってしまいました。するとイエスはお答えになりました。

 「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。(49-50節)

 父の家とは神の臨在の場所すなわち神殿のことだったと考えられます。イエスは12歳になられた時には、すでにご自分が神の子であることを自覚しておられたので、神を父と呼び、神殿は父の家、「自分も父の家である神殿にいるはずである」と言われたのです。

 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(51、52節)

 神の子であることを自覚された後も、イエスはユダヤの社会で一人前の成人と認められる30歳になって、公に宣教活動をお始めになるまで両親仕え、知識を蓄え、健康に育ち、神にも人にも愛される人として成長しつつ故郷にとどまられました。