親愛なる祈りの家族の皆様。
誰でも心の平安を願っています。
どんな心配事や束縛からも自由でありたい。どんな悩みからも解放されていたい。どんな状況の中でも毎日を安心して生活出来、心はいつも平安ですがすがしくありたいと願っています。
このせち辛い厳しい世の中でそんなことを願うのは無理でしょうか。
旧約聖書イザヤ書にこう書かれています。
「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。(40章1節)
この慰めの呼びかけは、実は救い主の到来の時を伝える預言のことばです。それは神ご自身の願いそのものなのです。私たちが慰めを得て、心配事や悩みからも解放されて平安であり自由であることを神が願っておられるのです。
バプテスマのヨハネがこの歴史的大事件を伝える前ぶれとなりました。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。」という預言の通りです。こうして神の子イエス・キリストが人となってこの世に来られたのです。今から2000年余り前のことです。
イエス・キリストがこの世に来られたのは私たちの罪を取り除いて、罪から解放することによって、心の内側から平安と慰めを私たちに与えるためです。私たちが悩んだり苦しんだり、平安を失うことは神の願いではありません。神は私たちを慰め、平安を与えたいのです。
神は私たちに特別に目をとめ愛を注いでくださっています。私たちにその資格や価値があるからではありません。神が私たちをそれほどの価値に見てくださっているのです。
私たちは神にそむき、神を拒む性質を持っています。神に反逆して罪びととなった私たちを、神は尊いご自分のひとり子によって買い戻して、罪のない者としてくださいました。私たちの罪はすでに赦されて、神の子どもとして受け入れていただくことが出来るのです。それを信じて神の子どもとして新しい人生を歩み出す決意をするなら、神はご自分の霊を私たちの心の内に住まわせてくださいます。イエス・キリストを信じて新しく生まれた者はすでに神の霊を持っているのです。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネ3章6節)
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。(ローマ8章14節)
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。(コリント第一3章16節)
ですから、私たちはもはや他の多くの被造物の中の一つではありません。神ご自身の一部を受け継いで神の子どもとなったのです。神は子となった私たちをキリストの姿に似た者にするために訓練し、教え、守り、最後まで導いてくださっているのです。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされて(まだはっきりと見えて)いません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。(ヨハネ第一3章2節)
神を信じているのに平安を失うのはなぜでしょう。かつて偶像の神々を恐れていた時のように、律法を守って神を満足させようとしたり、人間的な規則や制約に従った良い行ないによって自分の力で神に喜ばれようとして自分を束縛したり、苦しめたりして、喜びを失うからです。
パウロはガラテヤの教会の人々にこう書き送っています。
しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。(4章8、9節)
神に任せ切っていないと本当の平安は来ません。私たちの罪の代価は全てイエス・キリストの十字架によって取り除かれていることを信じ、それを土台にしてこれからの人生を築くのです。神が私たちを愛してくださっており、私たちはイエス・キリストによって義とされ、神の霊である聖霊が注がれているのです。人生にそれ以上どんな保障が必要だと言うのでしょう。イエス・キリストを信じて受け入れている人の罪をとがめるものは何もないのです。
パウロもローマ人への手紙の中でこう断言しています。
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。(8章31-33節)
神が私たちを罪のない者と認めてくださるのですから、私たちは何も心配しなくてもよいのです。ただ、神に信頼し、この約束を信じて受け取ればよいのです。そうすれば、あなたは何も恐れる必要はないことが分かります。どんな問題もあなたを絶望させることはありません。
私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8章35、37節)
悩みや困難によって心に平安がない時、何かの問題が心にかかり、恐れと不安に襲われた時、主イエス・キリストの名を呼んでください。あなたを平安の中に引き戻すことは神の願いです。
あなたの内に住んでくださっている神の霊は、あなたが確かに神の御手の中にあるという確信を与えて、大きな平安の中に包んでくださることでしょう。あなたは神の子どもだからです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛