祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201006
⑥ ガリラヤ地方におけるイエスの初期の活動
イエスが公に宣教を始められると、イエスに従って来る人々が起こりました。
最初はバプテスマのヨハネの弟子だった人たちがイエスに従い始めました。その中の1人はアンデレでした。彼は先ず自分の兄弟ペテロにイエスの事を伝えました。二人は同じ町の仲間であったピリポにイエスのことを伝え、ピリポはナタナエルをイエスのもとに連れて来ました。イエスに出会ったナタナエルもすぐにイエスの弟子になりました。
こうして次々にイエスに従う弟子たちが出来てきました。最初にイエスに従うようになった人たちは皆ガリラヤの田舎町出身でした。そこはエルサレムから遠く離れていて、何の魅力もない地方だと思われていました。ナタナエルが「こんな田舎町のナザレから預言者や救い主が出るわけがない。」と言うほどでした。しかし、イエスの宣教の出発点はこの田舎町からでした。後に「ナザレのイエス」と呼ばれるようになりました。
次に、ヨハネの福音書はカナにおける婚礼の祝いの席で行われたイエスによる最初の奇跡について記録しています。最初にイエスの弟子となった人々がイエスに従い始めてから間もない三日目の出来事です。
ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。(ヨハネ2章1、2節)
どうやら、イエスの母マリヤはこの婚礼の祝いを取り仕切っていた一人のようです。お祝いのなかばに肝心の葡萄酒が切れてしまったのです。マリヤがイエスにその事情を話すとイエスは水をぶどう酒に変える奇跡を行なわれました。
この奇跡を行なわれて後、しばらくはカペナウムに戻って家族と共に過ごされましたが、過ぎ越しの祭りが近付くとエルサレムに上られました。そこで最初の大きな事件が起きます。エルサレムの神殿には遠くの町々からも熱心なユダヤ人たちが来て礼拝をしていました。彼らは遠くから旅をしてエルサレムに来ているため、旧約聖書に定められているささげ物を持ってくることが出来ません。そこで、神殿ではささげ物になる動物や鳩が売られていました。また、神殿にささげるお金は古くからの神殿貨幣を使うことになっていました。それは一般には流通していないため、やはりそこで両替しなければなりません。ですから神殿の中は商売人でごった返していました。日本でも縁日の参道で見られる光景ですが、それが神殿の中で行なわれていたのですから大変です。それをご覧になったイエスはどうなさったでしょう。
細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2章15、16節)
(マタイ21章12節、マルコ11章15節、ルカ19章45節も参照)
ユダヤ人たちは「何の権利があってこんなことをするのか。」と抗議しました。
イエスは言われました。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、3日でそれを建てよう。」(ヨハネ2章19節、マタイ26章、マルコ14章、参照)
エルサレムの神殿は何度も破壊され再建されました。ここに居合わせていたユダヤ人たちはこの神殿が再建されるのには46年の年月がかかったことをよく知っていました。イエスはそれを「3日で建て直す」と言われたのです。けれどもイエスが「この神殿」と言われたのは、今人々の目の前にあるエルサレムの神殿ではなく、ご自分の体をさして言われたのです。
イエスこそ神から遣わされ、神のことばを語り、神がいつもともにおられる、本当の神殿です。私たちも神の霊に住んでいただき、聖い生きた神殿となるべきです。
イエスはユダヤ人たちによって十字架刑にされますが、3日目に復活なさることを預言しておられたのです。
このようにして、イエスがなさった数々の働きによってイエスについての話題が人々の間に広がっていきました。
その頃、ユダヤの最高議会であるサンヒドリンの議員の1人であった、ニコデモが夜こっそりイエスを訪ねて来ました。ほとんどのユダヤ人の指導者たちは自分たちが築きあげて来た「律法による支配制度」を覆しかねないイエスを快く思っていませんでした。けれども、その中の一人ニコデモは「イエスは神から遣わされた方に違いない」と感じ、わざわざ教えを請いにやって来ました。ヨハネ3章1節です。
ところがイエスは単刀直入にこう言われました。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(3章3節)
神の国に至る道は、こそこそ秘かに探るものではなく、全身全霊で求めるものです。新しく生まれ、新しい世界に生きるのです。
新しく生まれることについてのイエスとニコデモの会話に続き、聖書の中心というべき有名なことばがきます。これはニコデモだけにではなく、イエスを通して神から全人類へ与えられたメッセージです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)