親愛なる祈りの家族の皆様。
プレゼントはもらっても贈ってもうれしいものですね。
イエスは、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われました。
私が聖書を読み始めた時、これはイエスが直接言われたことばの記録だと思っていました。確かにこのことばはイエスの教えにふさわしいことばです。けれども、福音書のどこを見てもイエスがそういわれたという記録がありません。
これは「新約聖書使徒の働き」の中でパウロがエペソの教会の長老たちをミレトに招き、彼らへの励ましのことばの中で、イエスの教えとして伝えたものです。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒の働き20章)
パウロはイエスから直接このことばを聞いたのではなく、弟子たちから間接的に聞いていたのです。この教えはすでに多くの人々の心に「イエスの教え」として浸透していたのです。
今、多くの人々が「児童手当はちゃんと支払われるだろうか」、「年金は約束通りもらえるだろうか」と心配しています。あれもして欲しい、これもしてほしいと要求することばかりが先に出て、自分に何が出来るか、何をしてあげられるかを忘れがちです。
ケネディ大統領は有名な演説の中で、「国が自分のために何をしてくれるかではなく、自分が国のために何が出来るかを先ず考えてください。」と言いました。
ケネディは大統領ですから、国のレベルで話をしていますが、これを家庭のレベルで考えてみてください。家族の中でああして欲しい、こうして欲しい、と思う前に、自分は妻のために夫のために何が出来るだろうか、子どものために、親のために何をしてあげられるだろうかをまず考えているなら、相手に不満を持つことが少なくなるに違いありません。
誰でも、税金は安くして欲しいが、手当てや年金はなるべく沢山もらいたいのです。労働時間はなるべく短くて、給料はなるべく多く欲しいのです。そのような要求が必ずしも全て不当な要求とは言えませんが、要求ばかりすることが当たり前の人生になってしまうと何によっても満たされなくなり、決して幸せを感じることが出来ません。
私たちは互いに役立つように造られているのです。人のために役立つことは喜びなのです。
イエスは「受けることはいけない」と言っておられるのではありません。実際「求めなさい。そうしたら与えられます。」と教えておられます。求めることも、受けることもいいのです。心のこもったプレゼントは喜んで受け取ってください。受け取るべきプレゼントを受け取らないと、送り主をがっかりさせてしまいます。
神はどんなプレゼントにも比較にならないすばらしい贈り物を私たちにくださいました。それは、神のひとり子イエス・キリストです。私たちの罪を取り除き、私たちに永遠の命を与えるために遣わしてくださった最高の贈り物です。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)
それを受け取らないことは、イエスの死と復活を無駄にしてしまうことです。
受け取るべきプレゼントは感謝し、喜んで受け取ってください。けれども、「与える喜びを知ることも幸いである」とイエスは言っておられます。
私の孫たちは会うたびに絵や手紙を書いてプレゼントしてくれます。私たちはそれを受け取り、大切に冷蔵庫に貼り付けておきます。今では冷蔵庫が孫たちの絵や手紙でいっぱになり張るところがありません。けれども、私たちを喜ばせようとして一生懸命に書いてくれる姿を見ると受け取らないわけには行きません。しばらくして再会した時「あの手紙まだ持っている?」と聞かれて、「冷蔵庫に貼り付けて毎日見てるよ。」と言うととても喜んでくれます。彼らは与える喜びを知っているのです。それを彼らから取り上げるわけにはいきません。
人は誰でも自分だけのために生きているのではありません。もし、本当に自分だけのために生きるとしたら、その人生はあっても無くても何の違いも無く、その人生によっては何も変わりません。他の人のために役立ってこそ自分が生きていることの価値を見出すのです。
子どもたちのために苦労しておられるお父さんやお母さんたちは毎日さぞかし大変でしょう。今は良く分からないかも知れませんが、今自分に出来る精一杯のことを子どもたちのためにしなかったら後になって必ず後悔します。後では、子どもたちはもうあなたを必要としなくなるからです。
人生において、自分が必要とされ、役に立っていると実感できることほどすばらしいことはありません。苦労したり犠牲を払うことは大変なように思いますが、いずれ何倍もの祝福となってあなたのもとに帰ってくるのです。
イエスは言われました。
祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。
その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」(ルカ14章13、14節)
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25章40節)
自分を必要としている人がいるのではないか、自分に何か出来ることはないかをいつも考える人になってください。そうすればあなたの人生はもっと輝いてきます。その上、イエスに認めていただけるような幸いな人になれるのです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛