祈りの家族への手紙:2010-09

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 9月は私の誕生日の月です。
 この年になって「誕生日おめでとう。」と言っていただくのは嬉しいには違いありませんが、「また一つ年をとってしまった」という現実が入り混じって複雑な気持ちです。

 そんな気持ちを察した妻は、一日違いの母の誕生日にかこつけて、さりげなく一緒に祝ってくれました。大げさにならず、忘れられもせず、また一つ歳を加えました。

 聖書は、もし愛がなければどんな素晴らしい知識や信仰も何の値うちもなく、どんなに優れた行ないも役に立たないと言っています。

 たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(コリント第一13章2、3節)

 イエスは数々の奇跡と力ある業によって病気を癒し、不自由な体を完全にしてくださいました。イエスが癒してくださったのは、私たちが永遠に病気にならないためではありません。

 死んでいたラザロをイエスは生き返らせてくださいましたが、ラザロはやがて年老いてまた死を迎えたに違いありません。足なえが歩けるようになり、盲人が見えるようになりましたが、彼らの体もまた年老いて死を迎えたことでしょう。

 では、病気の人が癒されたり、死んでいた人が生き返ったり、足の不自由だった人が歩けるようになったり、生まれつき盲目だった人が見えるようになったことには何の意味もなかったのでしょうか。私たちが祈りのリクエストを書いて、神の前に差し出し、互いに祈り合うことによって神に奇跡を行なっていただいても一時的な意味だけしかないのでしょうか。そんなことはありません。祈りが聞かれることはそれ自体が素晴らしい奇跡です。

 けれども、イエスが地上で行なわれた数々の奇跡は地上から全ての病気をなくすことでも、人々を永遠に生かすためでもありません。イエスがなさった数々の力ある業の一つ一つはその人に対する神の愛を示すためです。病気であれ、生まれつきであれ、突然の事故によってであれ、そのほかどんな理由であっても、苦しんでいる人に対して、イエスは心からの同情を示し、愛してくださるのです。あなたが苦しみの中から助けを求めて祈る時、イエスは先ず、苦しんでいるあなたを心から憐れみ愛してくださいます。イエスがあなたを愛しておられるしるしとして祈りを聞いてくださるのです。ですから、どんな小さなことであっても祈りが聞かれた時、その背後にあるイエスの愛をしっかりと受けとめてください。

 この愛を受けとめなければ、どんなすばらしいことをしていただいてもただ一時的な喜びで終わってしまいます。どんな小さな出来事の中にもイエスの愛を感じることが出来れば、もう何も心配がなくなります。イエスはあなたが大きな問題に直面して苦しむ時にも、不安や絶望の中にある時にも決して放ってはおかれず、お見捨てにはならないことが分かるからです。

 南米のチリで鉱山落盤事故が起こりました。事故から3週間が過ぎた時、地下坑道に取り残されて絶望視されていた33人の人々が生存している証拠が見つかり、やがて、全員の生存が確認されました。けれども、彼らが地上に助け出されるためにはまだ何カ月もかかるということです。それまでの間、蒸し暑い最悪の環境の中で、不自由な生活を続けなければなりません。けれども、彼らは安心して救出されるのを待つことが出来るに違いありません。地上の人々が自分たちの存在を知っていてくれるからです。自分たちに励ましの言葉をかけながら、救出のために日夜休まず働いてくれていることが分かっているのは何と心強いことでしょう。

 地下の避難所には閉じ込められた場合を想定して、しばらくの間は生き延びることが出来るよう、食料や水などの備えがしてあるそうです。けれども、もし、地上との連絡が取れないままだったとしたらどうでしょう。たとえ、必要なものが備わっていたとしても、自分たちの生存を誰も知らないとしたら、どんなにか不安で絶望的な毎日であったことでしょう。助かる望みも失っていたかもしれません。けれども、いま彼らは希望を持って不自由な生活に耐えて待つことが出来ます。町中の人々も彼らを応援してくれていることを知っているからです。

 私たちが悩んだり苦しんだりしている時、祈りが聞かれ、問題が解決することは素晴らしいことです。けれども、それだけで終わらせてはいけません。もっと素晴らしいことがあるからです。祈りが聞かれることによって、神が私たちを愛してくださっていることが分かり、それを実感出来るのです。神と私たちとの連絡がつながって、私たちをこの上なく愛してくださる神が、いつでも私たちの状態を知っておられるということが分かるのです。そうすれば、毎日がどんなにか平安に満たされることでしょう。どんな困難に直面した時にも安心してそれに立ち向かう事が出来るようになります。

 全ての被造物の中には神の愛がこめられています。それを見た時、その美しさの背後に神の愛があることを確認してください。人と人との間にも互いに思いやりと愛を見出して、それを育ててください。それは「互いに愛し合いなさい。」と教えておられるイエスの願いです。

 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネ15章12節)

 神の愛を知っている私たちは、何事につけても愛によって味付けられた言葉によってお互いの関係を素晴らしいものにしましょう。

 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3章17-19節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛