親愛なる祈りの家族の皆様。
あなたは今どんなことを祈っておられますか。
イエスは「求めなさい。そうすれば与えられます。」と言われました。(マタイ7章7節)
また、新約聖書ヤコブの手紙の中にはこう書かれています。
だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。(1章5、6節)
私たちは求めることがたくさんあります。ですから、求めています。祈っています。けれども、その祈りが答えられないことがあるのはなぜでしょうか。
ハンバード牧師がまだお元気だった頃、皆さんからの祈りのリクエストを持って牧師のもとを訪ね、一緒に祈りました。特にまだ救われていない家族が救われるように祈りました。
ハンバード牧師は、まだ救われていない家族が救われるようにと祈ることにたいそう力を注いでおられました。毎週日本から送られて行く祈りのリクエストのために祈ることを何よりも楽しみにしておられました。その祈りを通して「家族が救われた」という報告を聞き、一緒に喜び、感謝をしました。何十年もそのように祈ってこられたハンバード牧師にはそれが必ず起こることが分かっていたに違いありません。家族がそろってイエス・キリストを信じ、愛と赦しの信仰によって固く結ばれている家庭はどんなに幸せでしょう。
ハンバード牧師と一緒にいろいろな集まりに行くと、そこでよくこういう話をなさいました。「私は日本からの祈りのリクエストのために祈っていますが、そこに書かれている日本語は私には分かりません。けれども、神には分かります。神はそれを書いた人のことも完全に知っておられます。ですから、この祈りは必ず答えられると信じて、安心してそのために祈る事が出来るのです。」
私はここに、答えられる祈りの秘訣があるように思います。自分であれこれ考えた末、自分の思う通りになるよう神に指図するような祈りではなく、全てを知っておられる神にお任せする祈りです。神がおこなってくださる事が自分のためには最善であると信じて祈るのです。
けれども、自分が祈っている内容はしっかりと心にとめておく必要があります。そうすれば、祈りが答えられときにそれがはっきりと分かり、神に感謝し、栄光を帰することが出来ます。そのために祈りのリクエストを書くのです。
今年のクリスマスにも、まだ救われていない家族の救いのために祈りましょう。ハンバード牧師はおられませんが、その志を受け継いで皆さんと心を合わせて祈りたいと思います。そうすれば、イエスご自身も一緒にいて、私たちの祈りを聞いてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18章20節)
何かを求めるだけが祈りではありません。祈りは神と語り合うことです。けれども、求めることも祈りの大切な要素です。求めることはその人を信頼している証拠だからです。信頼していなければ本気で求めることはできません。ですから、求めなさい、そうしたら与えられるのです。ただし、何かを求めて祈る時には、本当に真剣に求めるべきです。主が「求めなさい。」と言われた意味をもう一度しっかりと考えてみましょう。
イエスは、くどくどと祈るなと言われました。
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6章8節)
祈りは言葉数ではなく心です。祈りの数が多くなると心が留守になり、「これだけ祈った。」という自己満足に陥りやすいからです。むしろ、心を注いで真剣に祈ることが大切です。
イエスはまた、信じて祈りなさいと言われました。
からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ17章20)
からし種ほどの小さな信仰でもあったら山を動かす事さえも出来ると言われるのです。山のように大きな問題が私たちに迫って来て、どうすることも出来ないと感じることがあります。けれども、信仰の祈りはその山をさえ動かすことが出来るのです。
祈りには信仰が伴うべきです。信じないで祈ることは生きておられる本当の神への祈りではありません。それは偶像礼拝の祈りです。そのような祈りは、たとえ聞かれたとしてもあなたのためにはなりません。けれども、私たちを愛しておられる神が答えてくださるなら、それは必ずあなたのためです。安心して感謝することが出来ます。私たちは祈るとき、偶像礼拝者のような祈りをやめて、必ず聞かれるという信仰をともなった祈りによって求めましょう。
イエスご自身が「求めなさい。そうしたら与えられます。」とはっきり約束しておられます。神は先ず、御子イエス・キリストを人類の救いのために与えてくださいました。クリスマスは神がイエス・キリストをこの世に与えてくださったことを記念する時です。
私たちがまだ神を知らず、神に背き、罪びとだったときにさえ、神は私たちを滅びの中から救うためにイエス・キリストをこの世におくり、十字架の上で尊い命さえも与えてくださいました。私たちが神に近づく前に神の方から先に私たちに近づいてくださったのです。それならなおさらのこと、イエスを信じて熱心に求めている私たちの祈りを聞いてくださらないということがあるでしょうか。祈りは必ず聞かれます。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛