祝福のメッセージ:2010ー11

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201011   

山上の説教2 あなたがたは哀れな者です


 前回はマタイの福音書5章からイエスが教えられた8種類の幸いな人について学びました。それと同じ説教がルカの福音書にも書かれています。このときのイエスの教えをルカはどのように聞いていたのでしょう。今回はルカの福音書から見たイエスのなさった同じ説教を学んでまいります。

 もし、前回の祝福のメッセージをお持ちでしたら、それと比べながらご覧になるとよく分かります。

 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。

 「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。

 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。

 いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。

 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。

 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。

 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。

 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。(ルカの福音書6章20節‐36節)

 ルカの記録では次のようになっています。

1.貧しい者は幸いです。

2.いま飢えている者は幸いです。

3.いま泣いている者は幸いです。

4.人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

 これらの幸いな者はマタイの記録とぴったりと一致しています。特に、さまざまな種類の迫害に苦しめられる時、「神の慰めと公平な裁きを思い、躍り上がって喜びなさい。」と強調されている点では、マタイの福音書とルカの福音書は一致して「キリストとともにある者はどんな境遇の中でも喜びと平安を失うことがない」という真理を力強く伝えていて、イエスの教えの真髄がしっかりと伝わって来るのを感じます。

 マタイとルカでは順番が少し違っていて、二人が別々にイエスの教えを聞いていてその内容を別々に記録していたことが分かります。それによって客観性が深まり、イエスの教えをより一層正確に理解する助けとなります。

 ルカの記録には、マタイの記録にある柔和な者、憐れみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者が抜けている代わりに、次の4種類の人が哀れな者と言われていることが注目すべき点です。

5.富んでいるあなたがたは、哀れな者です。

6.食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。

7.笑っているあなたがたは、哀れな者です。

8.ほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。

「哀れな者」(新改訳)と聞くと、その人を見下げているように感じるかも知れませんが、必ずしもそうではありません。他の翻訳では「その人たちはわざわいだ。」(口語訳)「あなたがたは不幸である。」(新共同訳)となっています。

 これらを総合すると「同情すべきかわいそうな人たち」という意味が浮かんできます。英語訳でも「大変だ」「災いだ」という意味の言葉が使われています。

 イエスはそのような人々を見下げて断罪しておられるのではありません。彼らのおかれた立場の難しさに同情しておられるのです。

 イエスはいつでも弱者の味方でした。今も弱い者の強い味方となってくださいます。同時に、権力者や富んでいる人々には厳しく警告しておられます。富むことや権力を持つことが悪いと言っておられるのではありません。富や力を与えられた人には大きな責任もあることを教えておられるのです。

 ともすると、権力を得て富を持つと、自分自身に価値があるかのように錯覚しやすいものです。また、弱い人々を見下げたり軽んじたりしがちです。けれども「全ての権威は上から、すなわち、神から与えられたものである」と聖書は教えています。与えられた富や権力が大会社の社長や国の大統領であれ、教師や親であれ、謙虚になって、それを正しく用いることが、お与えになった神の期待にこたえることです。

 イエスが教えられた山上の説教を単なる慰めの言葉として受け取るのでなく「喜びのときも、悲しみのときも、大きな困難に直面した時も、失望することなく、力強く生きていくことが出来るよ。」と励ましてくださる愛のこもった教えとして感じ取ってください。なぜなら、この説教をなさったとき、イエスはそこに集っていた病気や様々な問題によって苦しんでいる多くの人々をご覧になっていたからです。

 多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海ベから来た大勢の民衆がそこにいた。イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。(ルカの福音書6章18節‐19節)

 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。 
 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。(マタイ5章1節2節)

 あなたも彼らと一緒にそこに座り、愛と力に満ちたこの教えに耳を傾けてください。