親愛なる祈りの家族の皆様。
あなたは今、心や体に痛みを感じてはおられませんか。
ちょっとした一時的な傷のために痛みを感じたり、病気のために慢性的な痛みのある方もおられます。痛みは嫌なものです。出来れば避けたいものです。人は体で感じる痛みのほかに心でも痛みを感じます。辛いことや悲しいことにみまわれた時、心が痛みます。あなたも長い人生の間に数々の痛みを感じてこられたに違いありません。もしかしたら、今がその痛みや苦しみの最中かも知れません。神の慰めと助けが豊かにありますよう祈ります。
耐えられないような痛みに襲われる時、なぜ、こんな苦しい目にあわなければならないのだろうと思います。なぜ、私たちは痛みや苦しみを経験するのでしょう。私たちを愛しておられる神が、なぜそれをお許しになるのでしょう。痛みなど全く無いほうが良いのでしょうか。
もし、私たちが痛みを感じないとしたらどうなるのでしょう。怪我をしても痛みが無いと、治療もせずそのままにしておいて、悪いばい菌が入り、傷が大きく広がって命にかかわることになりかねません。実際、ある皮膚病は感染すると手足の神経が麻痺して、痛みを感じなくなるために、大きな怪我を負いやすくなり、手や足の指先を失う事態に陥ることがあります。その病気は長い間、手や足が腐り落ちる恐ろしい病気だと思われていました。けれども、実際には手足の指先が麻痺して痛みを感じなくなるだけの病気だったのです。痛みや苦しみの自覚が伴なわない病気ほど恐ろしいものはありません。気がつかないうちに手遅れになってしまうからです。痛みは私たちの体に危険や異常があることを警告する大切な役目を持っているのです。
痛みの感じ方にもいろいろあります。私の妹は小児癌のために幼い時から何度も手術を繰り返し、痛みと苦しみの絶えない、短い人生でした。当時は良い痛み止めの薬が無く、どんなに痛かっただろうとかわいそうに思います。あの痛みだけでも取り除いてあげることが出来たらどんなに良かっただろうと。
一方、やはり子どもの頃、おばあさんがお灸をしているのをよく見ました。気持ち良さそうに熱さに耐えているのをとても不思議に思ったものです。おばあさんは灸の効用をよく理解していたので、熱さの後に来る回復の喜びを思って、その熱さも快く感じていたのです。
C.S. ルイスは「痛みの問題」という本の中で、「痛みは人間にとって無くてはならないものであり、痛みをなくすことは生きていくこと自体をなくすことになる。」と言っています。
では心の痛みの場合はどうでしょう。多くの人を苦しめ、辛い思いをさせ、生きる意欲さえも失わせる心の痛みや苦しみも、人間にとってなくてはならないものなのでしょうか。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。(コリント第二1章4-5節)
神は私たちの苦しみや痛みを全部なくしてくださるのではなく、それによって、その後に来る喜びと平安を確実なものにしてくださるのです。けれども、神から離れ、神抜きにして陥る苦しみや痛みは、何の実りも残してはくれません。ですから、私たちが心に痛みや苦しみを感じる時には、まず、それを神のもとに持って来ましょう。もし、神の前に何のわだかまりも心配もなければ、すぐ後に来るすばらしい栄光を思って大いに喜んでください。もし、それが罪や不信仰によるのであっても、悔い改めて、そのために祈ることが出来ます。そうすれば慰めと癒しを受けるからです。
失恋したある少女からの手紙を読んだことがあります。心の悲しみと痛みを涙ながらに面々と訴えるものでした。私はそれを読んで、この方はきっとこの苦しみを乗り越えて今まで以上に強く生きていけると思いました。
皆さんからの祈りのリクエストを読んでいる時も、しばしば、それと同じ確信が与えられることがあります。苦しみのただ中にいる当事者には今は分からないかもしれません。けれども、そのために祈っている私には神が共にいてくださっていることがよく分かるのです。
私は長年の信仰生活を通して、心の苦しみや痛みを負っておられる方に大勢出会いました。数え切れないほど多くの方々が、心の苦しみの中から神に近づくことが出来て、平安と喜びの人生を見出しています。罪のために神の姿が全く見えなくなるほど遠く離れてしまった私たちにとって、しばしば、心の苦しみや痛みが私たちの魂を目覚めさせて、神に近づき、神に立ち返る機会を与えてくれることがあるからです。
けれども、悲しいことに、苦しみと痛みの中から、恨みと呪いの言葉しか産みだせないで終わってしまう人々をも見て来ました。判断を間違えてはいけません。あなたがどんな苦しみの中にあるときにも、神はあなたを愛しておられます。
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(コリント第二7章10節)
イエス・キリストも私たちと同じように痛みと苦しみを味わってくださいました。その苦しみは、むごたらしい肉体的な痛みだけではありません。最も信頼していた神から見捨てられるという心の苦しみでした。
イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。(マタイ27章46節)
神の愛を伝え自分を捨てて生涯をささげて来た最後の瞬間に、十字架の上に見捨てられたのです。その苦しみはどんなに大きなものだったことでしょう。けれども、それなくしては私たちの救いはありませんでした。それは私たちが神に見出され、神を見出すためだったのです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛