祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201102
⑭ 山上の説教5 主の祈り
だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
(マタイ6章9-13節)
イエスは「祈る時には偽善者のように見せかけの信仰で祈るようなことをしてはいけない」と教えておられます。祈りは神への語りかけです。掟でも儀式でもありません。ですから、祈っても祈らなくてもその人の自由です。けれども、あたかも信仰深い人間であることを印象付けようとして、見せかけの祈りによって民衆をだましている人たちを警戒するようにとイエスは言われました。そこで、祈りの手本をここで教えておられるのです。これは「主の祈り」と呼ばれ、古くから、教会の礼拝においても、また、個人の祈りの中でも用いられています。
最初の三つの祈りは神に関する祈りと願いです。
神の御名が人々によってあがめられ、褒め称えられることは、信じる者たち全ての願いです。現代はあまりにも神の名が粗末に扱われ、軽んじられています。万物の造り主、全能の神はどの時代においてもあがめられ褒め称えられるべきです。
神の国ではイエス・キリストを中心にして、神が私たちを直接治めてくださいます。
今、私たちは多くのものに支配され治められています。世界中でいろいろ政治形態は違いますが、国や政治家が人々を支配しています。法律や規則が個人よりも優先しています。政治では、個人個人のさまざまな事情は把握できないからです。けれども、神の国では、私たち一人ひとりはもちろんのこと、全ての物事の状況を知り尽くしておられる神が支配なさるのです。そのような時が来るのは全ての人の願いです。天の国においてはすでに全てが神の御心どおりに行なわれているのです。地上でもそうなることをわたしたちは切に願っています。
次の三つの祈りは私たち自身に関する祈りです。
まず神の国とその義を求めてから、次に自分の人生におけるさまざまな必要を神に求めるのです。
日ごとの糧を求めることは生きている者の基本的な必要を求めることです。それ以上を求めることでもそれ以下を求めることでもありません。
これは私たちの日常の生活が全面的に神に依存していることを告白しているのです。
私たちは神に対して多くの負い目を持っています。それを返せる保証はどこにもありません。ただ、神がその負い目に応じて報いることのないよう、神の憐れみにすがり、どうか負い目の全てをお赦しくださいと願うばかりです。その憐れみの大きさを実感する時、私たちも、負い目のある人々を赦すことが出来て、それを赦しましたと告白出来るのです。
イエスがこの世に来られたのは、神に対する私たちの負い目である罪を赦して、それをご自分の身に負ってくださるだけでなく、私たちの間に互いに赦し会う力をもたらすためです。イエス・キリストこそ真の平和を与える方です。
私たちはしばしば大きな試練に直面します。それは私たち自身の不注意であったり、怠慢であったり、邪悪な動機の結果であったりします。いずれの場合であっても、神が知っておられないできごとは何一つありません。神は全てをご存知でありそれらを全て掌握して支配しておられるからです。神の許し無くして起こることは何一つないのです。
ですから、試練や困難に直面した時には、それが自分から出たものであれ、外から来たものであれ、全て神が承知しておられるということが分かっていれば、私たちはこう祈ることが出来ます。「主よ、もしこの困難が私から出たものでしたら、私の罪をお赦しください。そして、どうかこの困難から私をお救いください。」
人はしばしば、「私が今困難に直面しているのは、神が私を試みておられるからだ」と思いがちです。そうである場合もあるかもしれませんが、単純にその人の不注意や、怠慢から来ているのかもしれません。けれども、幸いなことに、いずれの場合でも、神は始めからそれを承知しておられ、あなたが苦しんでいることも知っておられるのです。
もし、神があえて私たちを試みに会わせるとしても(そのように思えたとしても)、それは決して私たちを苦しめるためではありません。むしろ、祝福を与えて私たちの中に良い結果をもたらすためです。
ですから、何の心配もなく、それを受け入れることができます。心配することによって困難や悲しみが消えることはありません。
ですから、神が知っていてくださることを大いに喜ぶべきです。けれども、出来ることなら、試みに会わないで祝福だけを与えていただきたいものです。それが全ての人の正直な気持ちです。
イエスは「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈っても良いと言っておられます。ですから、安心して、全てを主にお任せして、そうお祈りしてください。