祈りの家族への手紙:2011-03

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 観測史上最大の地震と津波。あなたは大丈夫でしたか。

 ご無事を心からお祈りしています。

 被害は日本全土に広がっています。テレビなどを通してその様子を目の当たりに見せられ、被害に遭われた方、亡くなられた方を思うと心が痛みます。どうか無事でいてください。

 消防隊、警察、自衛隊、また、海外からも救援チームが来てくれています。救援活動のために現地に出かけた友人の報告では、全力で救援に努めているものの、被害が大きく道路が寸断され混乱がはげしいため、なかなか思うようには進んでいないとのことです。一刻も早い救援と復旧がなされるよう祈っています。

 大勢の方が亡くなられ、避難所で不自由な生活をしておられる人は大変な数になっています。こういう災害が起こると、私たちの生死はほんのわずかなことで左右されることを痛感します。危機一髪で九死に一生を得た人もあれば、あと少しのところで助からなかった人もおられます。

 津波が上陸して陸地を登って行く様子をテレビで見ました。細い道を一生懸命逃げていく白い車が映っていました。もう少し速く走れば、津波に追いつかれないで逃げ切れたはずでした。乗っていた人たちはどうなったでしょう。

 水につかり始めた道路を横切って高台に逃げていく軽自動車も映されました。その車が走り去った数分後には道路は津波で覆われ、車や漁船が激しくぶつかり合いながら流れて来ました。しかし、軽自動車は無事にそこを通り抜けていました。見ていた人たちは「本当によかった。」と思ったことでしょう。逃げ切れなかった人も、助かった人もほんの紙一重の違いでした。

 災害に巻き込まれて犠牲になった人は特別に悪いことをした人だったのでしょうか。逃げ切れて助かった人は善人だったからなのでしょうか。決してそうではありません。神にとって善人も悪人も皆等しく尊いのです。

 自分に何かまさったところがあるから神によくしていただけるのだと思ってはなりません。善良な人間であることは良いことです。それは間違いなく自分にとって有益です。けれども、それで神に愛していただけると思ってはなりません。神は善人にも悪人にも等しく太陽を照らし、雨を降らしておられます。私たちが神にそむいて罪人だった時から、私たちを愛してくださっていました。ですから、良いことをしたからという理由で愛されているのではありません。たとい災難があなたに及んだとしても、あなたが特別に悪いことをしたからではありません。それで神があなたを愛しておられないということではないのです。

 あなたが今、大きな災害に遭遇しておられるとしても、神があなたを罰しておられるのではありません。どんな大きな困難の中でも神はあなたを愛しておられます。

 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5章8節)

 私たちの命は野の草のようです。朝には美しく野に咲いても、夕べにはもう枯れてしまう、ほんの束の間の出来事です。いつ予期しない災害にみまわれるか誰にも分かりません。たとい長生きしたとしても、それも束の間です。地球の歴史のほんのわずかの間を生きるだけです。けれども、確かなことは、私たちの命が神の手に握られているということです。幸いなことに、私たちの全ては神の手の中にあるのです。

 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ6章27節)

 とイエスは言われました。確かに、自分では一瞬たりとも自分の命を延ばせません。ただ、それがお出来になる方を知っています。その方に全てを任せ切って平安を得ているのです。

 私は若い頃、使われなくなっていたトンネルに挑戦して向こう側に抜け出ようとしたことがありました。たった1キロメートルほどの短いトンネルでしたが、中には明かりがありませんでした。その上、トンネルは大きく曲がっていて向こう側が見えません。ですから、少し進むと、入り口の光も出口の光も全く見えなくなります。壁伝いに進んで行きさえすれば必ず向こう側に出られるはずです。何も恐ろしいことはありません。そう思って挑戦したのです。けれども、何も見えない真っ暗な状態がどんなに恐ろしいものか分かっていなかったのです。ほんのわずかな光さえなくなると、自分自身が分からなくなるのです。あわてて早足で歩き始めたために壁に顔をぶつけて倒れてしまいました。しかし、自分がどうなっているのか分かりません。助けを求めるにも誰も通りません。このまま白骨になるのかと思いました。恐ろしさに耐え這うようにして進み、やっと向こう側の出口が小さく見えるところまでたどり着いた時、命が助かったことを本当に喜び、安心することが出来ました。

 私たちの周りでは「どうしてこんなに絶望的なことが起こるのだろう」と思うようなことがあります。闇に覆われて自分自身さえも分からなくなります。それは現実に私たちのまわりでいつでも起こり得るし、現に起こっています。光が見えず、前にも後ろにも進めない絶望的な時です。そういう時こそ、全てが神の手の中にあることを思い出し、希望と平安を取り戻してください。全てを御手の中に納めておられる神を信じて前に進みさえすれば、暗いトンネルの先に必ず光が見えて来ます。あきらめないでください。絶望と暗闇の中にとどまり続けないでください。

 神が宇宙を創造されたのは、それが何のくるいもない完璧な機械として働くためではありません。確かに、神が創造なさったものは初めから全てが完全です。けれども、それだけが万物創造の目的だと思ってはなりません。全てのものがこれをともに喜ぶためです。完全な宇宙とその中のものは全て、神がそれを喜ぶため、しかも、私たちとともに喜んでくださるためです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛