祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201103
⑮ 山上の説教6 思い悩むな
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。 (ルカ12章22-32節)
「野の花を見よ。空の鳥を見よ。」とイエスが教えられたことは、マタイの福音書6章25-34節にも同じように書かれています。この教えをある種の楽観主義のように考えて、何も努力しない言い訳として使われることがあります。けれども、ここでイエスが教えておられるのは、決して何も努力しなくてもいいということではありません。空の鳥も餌を探し、巣を造り献身的に子育てをします。けなげにも出来ることはせいいっぱいやっています。けれども、必要になるかどうかわからないことまで心配したり悩んだりはしません。
野の花も、春になって見事な花を咲かせるために冬の寒さに耐えて、静かに着々と準備をしています。けれども、それ以上の事は次の季節が来るまではしません。
ところが、私たち人間はそうではありません。智慧を働かせて前もって準備します。冬に備えていろいろな物を用意し、次の年に備えて種を蓄えておきます。10年、20年も先のことを考えて計画を立てます。イエスはそれがいけないと言っておられるのではありません。
私たちの外側の備えではなく心のそなえのことを言っておられるのです。どんなことでも自分の力で備えることが出来ると思いあがってはいけないのです。私たちがどんなに知恵を絞っても、先の事は分からないことばかりです。何もかも自分の計画通りにいくとは限りません。
思いがけないことはいつでも起こります。むしろ、予定通りに行かない場合の方が多いのです。そこで、思い煩ったり、心配したりします。出来ることをせいいっぱい行なったら、あとは神にお任せすればよいのです。
私たちは最終的にはどんなことでも全て神に頼っていることを忘れてはなりません。「どんなことでも自分で全てに備え、全てを自分の力でうまくやっていける。」と思いあがっていると、突然予期しない思いがけない大きな問題に直面した時、慌てふためいて思いわずらったり悩んだり心配したりするのです。
人間のやることで、絶対に安全、大丈夫、決して大きな事故にはならない、失敗などしないと断言出来ることは一つもありません。
行き詰って絶望的な時でも、投げ出したり、自殺したりなどしてはいけません。
初めから、どんなことでも自分で出来るなどと思わないで、あなたの人生に神が働いてくださる部分を大きく空けておきましょう。そうすれば、もう悩むことはありません。自分に出来ないことはみな神にお任せしてあるのですから、神にお任せしたことまで思い悩むことはないからです。
最近は健康志向の方が多くなりました。「これがよい。」「あれがよくきく。」といろいろな物が出回り、用いられています。確かに効果のあるものもありますが、正しく用いないとかえって害になるものもあります。私はそれがすべていけないとは思いません。希望を持って、喜んで実行することが出来るだけでも健康に良いかもしれません。けれども、それであなたの寿命を神が定めておられるよりも延ばすことが出来ると思ってはなりません。
イエスは言われます。
「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。」
「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」
もし、私たちが自分の命のことを心配し始めたら、本当にきりがありません。いつ大きな災害がやって来るか分かりません。自分がどんなに注意していても、不注意な運転者によっていつ大きな事故に巻き込まれるか分かりません。病気も、事故も、不意の災害も、私たちの力の及ばないものばかりです。そう考えるともう安心して生きてはいけないと思いますか。そんなことはありません。
「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。」とイエスは言われます。
すべては神の手の中にあって、それを養い、守り、育てて喜んでくださるからです。
私たちが、野の草や空の鳥よりもどれほど勝っているかは分かりません。けれども、「それら以上に神が私たちに良くしてくださらないはずはない。」とイエスが言っておられるのです。私たちの人生の中でも、全面的に神にお任せする部分を大きくしておきましょう。そうすれば、どんなに大きな安心を持てることでしょう。どんなに毎日が楽しく、元気に生きられることでしょう。
あなたは全てを創造し正しく治めておられる方に愛されているのです。
信仰を強く大きく持ってください。