祈りの家族への手紙:2011-04

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 神がなさることに意味のないことは有りません。
 私は子供のころ麦踏みを手伝ったことがありました。10センチくらいに育った麦の苗を、足で踏みつけていくだけですから、子どもにも出来る簡単な仕事でした。初めのうちは「芽を出してせっかく伸び始めたのに踏みつけられてかわいそうだ。」と思っていました。けれども、しばらくすると、踏まれた麦は不思議に青々と繁って元気に大きくなることが分かりました。一方、踏まれていない麦は、細々と育っていました。葉の繁り方もあまり豊かではありません。その違いは子どもの目にもはっきりとしていました。麦はある時期、踏まれれば踏まれるほどその株がたくさん増えて大きく強く育つのです。

 「若い頃の苦労は買ってでもしなさい。」とよく言われたものです。けれども、私はそんな必要はないと思ったものでした。苦労などない方がいいに決まっています。楽しいことよりも苦労する方がいいわけがありません。けれども、苦労のない環境に居続けると、人はよほど気を付けていないと、堕落して意味のない人生を送ってしまいます。

 わざわざ招かなくても、私たちの人生には多かれ少なかれ、必ず困難がやって来ます。それを不幸な災いと思い、恨みの心を持ち続けていやいや悲しみつつ生きるか、それとも、大きく豊かにより強く成長する機会ととらえ、希望を持って前進しようとするか、どちらを選ぶかはひとりひとりに委ねられています。

 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(ペテロ第一の手紙4章12、13節)

 今回の大地震と津波では、多くの方が困難を背負い、厳しい、辛い毎日をおくっています。せっかく長い不況から抜け出しかけた矢先でした。「もうちょっと待ってほしかった。」そう思った方も多かったに違いありません。けれども、現実には、災害は私たちの都合に合わせてはくれません。容赦なく、突然にやって来て、私たちの人生をめちゃめちゃにしてしまいます。

 けれどもその中でさえも、希望の光が全くないわけではありません。多くの人々が助け合い、支え合って、今までには無かったような、「他の人の事を思いやる」という素晴らしい人間関係が生まれています。また、困難な生活を強いられている人々に対する優しい思いやりの心が日本中のほとんどの人々の心に生まれ、小さな子どもたちの間にさえ及んでいます。

 スポーツ、音楽、教育、ビジネス、国際交流などいろいろな分野で活躍している人々の間でも被災者の方々にたいする思いやりの心が積極的に実践されています。そうした思いやりの心がいろいろな形に表わされて、日本中に行きわたっているのです。それだけではありません。その同じ思いが世界中の人々の心にも及んでいるのです。それは本当に尊いことです。

 もしかしたら、このことによって日本中の人々の心に大きな変化が生まれるかも知れません。今まで互いに競い合い、退け合って、他人の事には目もとめず、自分の力で何でも出来るかのように思いあがっていた心が砕かれて、謙虚になって、お互いを尊重し合い、さらに、自分の力の及ばないもっと大きなものへの畏敬の心を持つようになるのではないかと思っています。さらに、このことが全ての全てを支配しておられる全能の創造主に目を向ける機会となれば、日本は大きく変わり、もっと素晴らしい国へと生まれ変わるチャンスとなるかも知れません。

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5章3-5節)

 突然の大地震と津波によって、全てを失い、大切な人の命さえも奪われた人々の悲しみは、私たちの想像を遥かに超えているに違いありません。その痛みが、困っている人々の気持ちを理解し、真心からの愛を示すことの出来る力となるよう願っています。愛する者を失った悲しみを乗り越えて、生きることの大切さを知り、人生を今まで以上に大切にして真剣に生きるようになれば、それも決して無駄にはならないと信じています。どんな良いことをするにしても、そこに本当の愛が無くては真の価値は発揮されないからです。聖書はこう教えています。

 たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(コリント人への第一の手紙13章3節)

 ですから、今の困難と試練の時こそ互いを思いやり、愛の心を忘れてはなりません。人は決して強くはありません。自分ひとりだけの力では強くはなれないからです。互いに支え合って希望をいだき、そこに喜びを見出すことが、試練にも耐えて大きく強く育つ秘訣です。

 「何もかもが備わっていて当たり前だ」と思っていた私たちですが、電気も水も、遠くから届く野菜や食料も、止まったり危険になったりすると、初めてその大切さに気づくのです。皆がそれを大切にし感謝するようになるなら、この経験も決して無駄にはならないことでしょう。

 大丈夫だ、安全だと信じてその恩恵を享受してきたのに、今はその何倍もの苦難を負わされることになって、どんなにか辛く悔しいことでしょう。人類が築いてきた文明は自分たちの利益だけが中心でした。一旦手に負えなくなると、その考えがどんなに危険なことかが分かったのです。謙虚に自然の恵みを扱い、感謝を忘れないようになれば、それも無駄にはなりません。いや、決して無駄にはしたくありません。

 人間の力だけに期待して目を向けていてもなかなか希望が見えて来ませんが、神のご計画に私たちの焦点を合わせた時、不思議に希望の光が見えて来ます。神がなさることに意味のないことはなく、全てのことが愛に根ざしているからです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛