祈りの家族への手紙:2011-05

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 あなたは死を超えて永遠に生きる備えが出来ていますか。
 永遠について聖書にはこう書かれています。

 神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道の書3章11節)

 人は他の動物とは違って、毎日の食べ物やその他の必要が満たされていさえすれば生きていけるというものではありません。生きる意味を求め、将来のことを考え、よりよい未来を望んで生きようとするのです。『人はパンだけで生きるものではない』からです。(ルカ4章4節)

 イエスは「あすのことを思いわずらうな。」と言われました。(マタイ6章34節)ですから思い煩うことはよくありませんが、明日のことを考えつつ生きることは大切です。

 人が永遠を思う心を持つのは、人が神に似せて造られているためです。神が永遠的な存在であると同じように、人も永遠的な性格を与えられているのです。けれども、罪を犯してしまったために本来の調和のとれた美しい姿を失ってしまいました。ですから、そのままでは永遠には生きられません。罪と死が、永遠を思う私たちにとって大きな障害となってしまったのです。神とともにいつまでも生き続けるように造られた人間が、神にそむき、神をないがしろにして生きるようになったため、死が人を支配するようになったのです。

 ですから、罪が完全に取り除かれたなら、神との親しい交わりが回復し、再び神と永遠に生きることを許されるのです。イエス・キリストは私たちに代わって十字架の上で死ぬことにより罪の代価である死を支払ってくださいました。そして、三日目に復活なさいました。

 イエス・キリストの復活は、私たちの罪の償いが確実に果されたことを神が保証なさった証拠です。神はイエス・キリストを復活させることによって、私たちが負っていた罪の代価である死をご自分の命によって支払われたことを認めてくださいました。イースターはそれを記念しているのです。

 それゆえ、今こそ平静な心で自分の死について考えることができます。死はもはや私たちの敵ではないからです。死を恐れるよりも、今を有意義に生きることに力を注ぐためです。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11章25-26節)

 死は私たちの最後ではありませんが、避けて通ることは出来ません。また、避けて通る必要もありません。なぜなら、イエス・キリストを信じ、永遠のいのちを約束された者にとって、死は、もはやいまわしいものでも恐ろしいものでもなくなりました。死の彼方に輝かしい未来が約束されていることを知っているからです。それをしっかりと心にとめておいてください。

 そこで、お尋ねします。

 あなたはやがて誰の上にも訪れる死について、しっかりとした準備が出来ていますか。
 たとえ肉体は滅びても魂は永遠に生き続けることを確信しておられますか。
 永遠をどのように生きるのか、備えが出来ていますか。

 この問いに「はい」と答えられるために、日々イエス・キリストとともに歩むことをあなたの人生の目標としてください。

 日本では長い間平和が続き、私たちは平和が当たり前のように思い始めていました。平和であり安全であることはすばらしいことですが、人がやる以上失敗や間違いは必ずあるのです。また、災害は思いがけない時にやって来るものです。その上、起こってしまったことを取り戻すことは誰にも出来ません。

 突然思いがけない出来事に直面した時「なぜ私がこんな苦しみを受けなければならないのか」と不満を爆発させるのは「自分の上には思いがけない不幸な出来事は起こらないのが当たり前」と思っているからです。

 災害や災いは必ずやって来ます。地球は大昔から地殻を動かし、火山を噴火させ、台風や大水を起こし、海を揺らしながら、変化を続けて形成されてきたのです。私たちはそういう地球の上に生れて生活しているのですから、いつその力の影響を受けても不思議ではありません。生きるとはそういうことなのです。だからこそ日々イエス・キリストとともに歩むのです。

 恐れる必要はありません。神がご存知のないままに起こることは何一つありません。神は全てを承知しておられます。この地球上で生きて一生を終える私たちは「永遠を生きるための備えをする」というはっきりとした目的を持って神に整えられている途中です。

 小説「ホトトギス」の中の一節に、「人はなぜ死ぬのでしょう。」という言葉が出てきます。それは多くの人の心に秘められた切実な質問でもあります。けれども、死は私たちの終わりではありません。聖書はイエスのことばを通してこう教えています。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11章25-26節)

 私たちをこの上なく愛してくださるイエスは、わたしたちが死ぬべき運命を背負って生きていることを知っておられます。ですから、ご自分の命によって私たちを死から取り戻し、永遠のいのちを持つものにしてくださり、今私たちとともに歩んで私たちを備えてくださるのです。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12章2節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛