祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201105
⑰ 山上の説教8 求めなさい
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
(マタイ7章7-11節)
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
(ルカ11章9-13節)
イエスは「求めなさい」と言われました。求めることは信仰の始まりです。けれども、イエスの教えは、何でもお祈りしてお願いする偶像信仰とは根本的に違っています。偶像信仰は自分の願いが叶えられることが中心であるのに対して、イエスの教えは求めることに重点が置かれています。
人が求めることはしばしばあまりにも身勝手で、そのまま叶えられたら大きな混乱を招いたり、求めている人自身を不幸に陥れたりすることさえあります。ですから、真剣に求めることによって神との信頼関係が築かれることが大切です。自分がいったい何を求めているのか、どれほど真剣にそれを求めているのかをはっきりと自覚して求めるのです。私たちの必要を何もかも知っておられる神にあえてお願いするのは、自分自身がそれを理解するためです。「求めなさい」とはそういう意味です。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4章6節)
ここでイエスは一つの例を挙げて教えておられます。
パンや魚を求める子どもに、石や蛇を与える親はいません。なおのこと、天の父なる神は真剣に求めている私たちに良いものを下さらないはずはない、とイエスは言われるのです。
子どもを育てたことのある方なら誰でも、覚えておられることでしょう。子どもはいろいろなものを親に求めてきます。その中には良いものも悪いものもあります。親は注意深くそれを選んで与えるのです。そのことを通して親と子の関係が強められていきます。
今思うと、苦労したけれどやってあげてよかったと思うこともあります。けれども、もっともっと賢く対応すべきだったと感じることもたくさんありました。もっと子どもの立場を考えてあげるべきだったと反省させられることも山ほどあります。また、子どもがもっと真剣に求めてくれていたら、と思うこともたくさんありました。親自身、未熟で不完全でした。けれども、一生懸命でした。イエスはそのことを承知の上でこう言われるのです。
「あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。」
不完全で未熟な親ではあってもそれなりに子どもに良いものを与えたいと願う心に偽りはありません。
けれども、私たちが神に求める時は全く違っています。なぜなら、私たちの願いを聞いてくださる方は全知全能で完全なお方だからです。
「なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」とイエスが保証しておられます。
神は間違いなく、私たちにとって最も良いものをくださいます。
イエスが強調しておられることがもう一つあります。それは行動することです。
ただ単に願って座しているだけではなく、あなたの願いを行動に表わして、求め、探し、たたくのです。
そうすれば、求める者には与えられ、探す者はそれを見出し、たたく者には門が開かれるのです。
神にはどんなことでもお出来になります。私たちが求めることは何であってもそれを叶えることがお出来になります。けれども、求めるだけで座していることを願ってはおられません。それでは、私たちはいつまでも赤ん坊のままになってしまいます。私たちはしばしば助けを必要とします。けれども、自分でも神の助けを求めつつ、困難に立ち向かって行動することが大切です。神は、不完全な親たちとは違って、いつでも、正確にあなたや私の状況を知ってくださっています。そして、最も良い時に最も良いことを行なってくださいます。
ですから、どうか真剣に求めてください。一生懸命に探してください。熱心にたたき続けてください。そうすれば、あなたが求めるものが与えられ、探しているものを見つけ出し、たたいている扉があなたの前に大きく開かれることでしょう。