祝福のメッセージ:2011ー06

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201106

山上の説教9 イエスの宿題「狭い門からはいれ」


 「求めなさい。そうすれば、天の父なる神はあなたがたに何でも与えて下さる。」と言われたイエスは、それに続いて大きな宿題を私たちに与えておられます。

 第一の宿題は、努力して狭い門から入ることです。

 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ7章13、14節)

 努力して入るべき狭い門とはいったい何のことでしょう。厳しい受験競争に勝ち抜いて目的の一流大学や大企業に入り、豊かで安定した生涯をおくることでしょうか。それとも、教会の奉仕に励み人格を磨いて、誰にも尊敬される立派な人間になることでしょうか。

 どちらも、「信じるものは誰でも救われ、代価無しで永遠のいのちの恵みを受けることが出来る」と教えている福音の真髄とはかけ離れているように思います。

 では、イエスはこのことばによって私たちに何を教えておられるのでしょう。これと同じ内容の教えがルカの福音書にも書かれています。

 努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。(ルカ13章24節)

 けれども、ルカの福音書ではその前に、ある人がイエスにこうたずねています。

 「主よ。救われる者は少ないのですか。」(23節)イエスはその質問に答えて、「努力して狭い門からはいりなさい。」(24節)と言われたのです。

 救いには決まった定理も方程式もありません。ただ、神の恵みだけによって救われるのです。「この人は救われる」「この人は救われない」「こうすれば救われる」とは誰にも言えません。一人ひとりが自分の救いのために全力投球をするのです。

 滅びに至る広い道には何もしなくても大勢で一緒に入っていけます。一方、救いへの道は誰にでも開かれていますが、心を備えて目を離さず、集中して進まなければ見失ってしまいます。神は誰でも一人残らず救いたいと願っておられます。けれども、何かのついでや、中途半端な気持ちで救いの道に進むことは出来ません。全力でその門をくぐることを神は求めておられるのです。救いへの道は、神とその人だけで進む道だからです。そういう意味で大変狭い門であり、狭い道です。努力してそういう狭い門から入りなさいとイエスは言われます。

 第二の宿題は、自分にしてもらいたいことを他の人にも同じようにすることです。

 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイ7章12節)

 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。(ルカ6章31節)

 イエスは私たちが何を学び、何を信じるべきかをはっきりと教えておられます。それだけでなく、ご自分が手本になって何をどう行なうべきかを教えておられます。神に対してどう向き合うかを教えておられるだけでなく、人々に対して何をすべきかをも教えておられます。人は何を求めているのか、そのために自分には何が出来るかを探して実行するのです。

 それを知る一番良い方法として、イエスは「自分がしてもらいたいことを他の人にすること」を私たちへの宿題となさったのです。これもまた狭い道ですが、決して難しいことではありません。けれども「そのことに、律法と預言者、すなわち聖書の教えの全てがかかっている。」とまでイエスが言われるほど大切なことです。

 第三の宿題は、岩の上に自分の家を建てることです。

 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
(マタイ7章24-27)

 ここにも、イエスの教えの真髄が流れています。大勢の人が気軽に家を建てやすい平地を選ぶ傾向がありますが、先々のことを十分に考慮して、堅い岩の上を選んで家を立てることは、思慮のある者だけに出来る狭い道です。それが、安心と喜びをもたらす最も良い道であるとイエスは言われるのです。

 「岩の上に自分の家を建てなさい。」という教えは、文字どおり建築の基準を教えておられるのでしょうか。そうではありません。家の建て方は比喩として使われているだけであって「聞いてそれを行なう」ことが本題です。その教えの大切さを示すために家の建て方を例え話にして、分かりやすく教えておられるのです。

 イエスの教えは大変ユニークで覚えやすいものです。多くの人々がその話を記憶しており、それを引用する人も少なくありません。けれども、それを実行する人は少ないのです。そこで、イエスは私たちにイエスの言葉とその教えを実行することを日々の宿題としておられるのです。

 どうかイエスの教えを聞くだけでなく、それを実行する人になってください。

 イエスからの私たちへの宿題は;

  • 狭い門から入り、狭い道を進むこと、
  • 自分にしてもらいたいことは、人にも同じようにすること、
  • イエスの教えを聞いたらそれを実行することです。