祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201107
イエスの力ある業 ①らい病人の癒し
私たちはイエスが山の上で教えられたこと、山を降りてから教えられたことなど、イエスの教えを数々学びました。今回からはイエスが再びガリラヤ地方に行かれて多くの人々を癒し、実際に行なわれた力ある業の数々とその意義を、ご一緒に学んでまいります。
今回は、らい病を患っていた人の癒しについてです。この記事は共感福音書と呼ばれているマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書に同じように記録されています。
マタイ8章1-3節 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
マルコ1章40-42節 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
ルカ5章12-13節 さて、イエスがある町におられたとき、全身らい病の人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
イエスが地上で教えておられた当時、らい病を患っていた人は比較的大勢いました。けれども、いわゆるハンセン氏病とは限らず、単に重い皮膚病だった場合が多かったようです。衛生事情が悪かったことを考えると、多くの人々が皮膚病にかかっており、その中にはハンセン氏病の人もいたかも知れません。そのために、皮膚病を患っていた多くの人々が、必要もない恐れと不安におののいていました。ですから、らい病だと言うだけで彼らが受ける苦しみは特別でした。なぜなら、らい病人は汚れているとされて、交わりを禁じられ、不当な差別扱いを受けていたからです。人々はそうなることを特別に恐れていました。
イエスのもとに来たこの人にも恐れがありました。
多くの人は「自分はそんな病気に感染したくない」という警戒心が先に走り、当事者を思いやることを忘れてしまうのです。今も、放射能被害を過剰に恐れるあまり同じようなことが起こっているのではないでしょうか。風評によってどんなに多くの人々が不必要な苦しみと損害を受けていることでしょう。自分や家族を守らなければならないという思いが先走り、多くの人が差別や被害を受けて苦しんでいます。
イエスのもとに来たこの病人もその被害者の一人です。ですから、彼は人目を大変気にしていたようです。恐る恐るイエスに近づき、「お心一つで、私はきよくしていただけます。」と、遠慮がちにお願いしたのです。
けれども、イエスの答えははっきりしていました。「わたしの心だ。きよくなれ。」人が病気をいやされることや苦しみから解放されることはイエスの心、イエスの願いなのです。
この人の苦しみの大部分がこのことばによって、瞬間的に消え去りました。
私たちの周りに、困難や苦しみはいつもやってきます。思いがけない災難に遭ったり、突然の怪我や病気に見舞われたり、不当な扱いを受けたりします。それにどのような意味があるのか、最終的にはどのように益として働くのか、今は完全には理解することが出来ません。けれども、イエスのこのことばによって、心配がなくなります。心が解放されるのです。「わたしの心だ。きよくなれ。」
どんな苦しみがやって来ても、どんな困難を経験したとしても、私たちの病が癒され、苦しみから解放されることはイエスの御心だからです。
すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
イエスの言葉によって、この人はどんなに安心したことでしょう。多くの病人を癒し、手足の不自由な人を立ち上がらせ、盲人の目を開き、死人さえ生き返らせたとうわさされているこの方がそう言われるのです。まず、恐れや不安から解放されます。続いて、願っていた癒しと苦しみからの解放がやってくるのです。
イエスは今もあなたを癒したい、苦しみから解放したいと願っておられます。
今あなたはどのような心配事を心に持っておられますか。何があなたを恐れさせているのでしょうか。どんなことがあなたを苦しめているのでしょうか。
もっと大きな地震や津波が来るかも知れない、放射能被害が自分の周りにも及ぶかも知れないという恐れでしょうか。ますますひどくなる天候不順や自然破壊でしょうか。経済の破綻でしょうか。テロの危険でしょうか。
この宇宙を支配し、見守っておられるのはその造り主である全能の神です。
神は私たちが苦しみや恐れから解放されることを願ってくださっているのですから、何を恐れる必要があるでしょう。イエスのもとに来て大胆に願いましょう。
「主よ、御心ならこの苦しみを取り除いて私をお救いください。私の心に日々平安を与えてください。」
主はあなたにもこう言われるでしょう。
「私の心だ。きよくなれ。」
「癒され、恐れから解放されて自由になれ。私の平安をあなたに与えよう。」