祝福のメッセージ:2011ー08

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

 No.201108

イエスの力ある業 百人隊長の僕の癒し

 イエスによる力ある業と癒しの奇跡は誰に対しても分け隔てなく行なわれましたが、どの場合にも、それを受ける人がイエスにはそれが出来ると心から信じていました。

 それはユダヤ人だけでなく、ギリシャ人にも、また、当時ユダヤ人をいろいろな形で苦しめていたローマ人の兵士に対しても、イエスは愛を示し力ある業を行なってくださいました。

 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」(マタイ8章5-6節)

 カペナウムはガリラヤ湖の北岸に面した小さな町です。ローマの軍隊はそんな田舎にも駐屯して、ユダヤ全土を支配していたのです。

 百人隊長はローマの兵隊を百人統率している隊長です。その上には千人隊長がいて、百人隊を10隊統率していました。ローマの軍隊は特に規律が厳しく、上官の命令には絶対的に従わなければ命がありません。ですから、この百人隊長はローマ軍の将校として、自分の部下は自分の命令に必ず従うことも、また、自分も上官である千人隊長の命令を必ず聞かなければならないことを良く知っていました。

 イエスは「行って、直してあげよう。」と言われました。(7節)

 「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。(8節)

 私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。」(9節)

 百人隊長は言葉も文化も違う外国人でしたが、権威ある命令の持つ力を良く理解していました。イエスの中には他では見られない特別な権威が神から与えられていることを感じていたのです。どんなことでも、この方の命令通りになることが分かっていました。ですから、イエスのもとに来た時「あなたを私の家にお迎えする資格は私にはありません。お言葉で命令してくださるだけで十分です。」と言ったのです。イエスの言葉によって命令が下るだけでその通りになり、しもべの病気は癒されると信じていました。

 イエスはその告白を聞いて大変驚かれ、周りにいたユダヤ人たちに言われました。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」(10節)

 そして、彼の願い通りにしもべの病を癒してくださいました。

 イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。(13節)

 百人隊長はイエスが神の権威を持って来られた神の子であることを信じていました。ローマの兵士の中でイエスを信じた人は少なくありませんでした。イエスが十字架の上で死なれた時イエスを信じたのも、その場を警備していた百人隊長でした。

 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。(マルコ15章39節)

 これらの出来事を通してイエスが教えておられることは何でしょう。

第一に、恵みと救いとは、ユダヤ人だけでなく異邦人にも与えられることです。

 「自分は神の選民、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫でイスラエル人なのだから、必ず神の国に入れる。」と多くのユダヤ人たちが思っていましたが、イエスはそういう人々に対して警告をなさっています。「御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりする者がいる。」(マタイ8章12節)

 2000年後の現代に住む私たちはどうでしょうか。

 過去における自分の信仰を誇ってそれに安住してはいないでしょうか。いつしか、神の子とされている安心感から、初めの愛から離れてしまってはいないでしょうか。現在どのように神に信頼し、救い主イエス・キリストに対する信仰に燃えているかが大切です。教会に行くことも、聖書を読むことも、毎日祈ることも大切で良いことです。けれども、教会に行っていた。聖書を読んでいた。毎日祈っていた。だから私たちには救いが保証されている。おりにかなった奇跡を期待出来る。と思っていてはいけません。現在、イエス・キリストを神から遣わされた救い主として信じ、日々の行ないによってそれを表わすことが、私たちの人生にイエスの力ある業をもたらしてくれるのです。いつも私たちの心を神の御心につないでいましょう。

第二は、イエスは神の子としての特別な権威をもっておられることです。

 ユダヤ人から見れば、百人隊長は異邦人で、神の救いが約束されているアブラハムの家系の外の人でしたが、彼はイエスの権威に対して正しい信仰を持っていました。

 聖書の中でイエスが行なわれた力ある奇跡はいつでも、イエスの権威ある命令によって行なわれました。盲人の目が開かれた時も「開け」と言われ、足が不自由だった人が癒された時も「立って歩け」、らい病人には「きよくなれ」と、イエスの命令によって行なわれました。

 あなたの人生に行なってくださる奇跡の力も、イエスの権威ある命令によるのです。神の子イエスを信じ、その権威あることばをしっかりと心で受けとめてください。

 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(ヨハネの第一の手紙5章5節)

 主はあなたにも「あなたの信じたとおりになるように。」と言ってくださいます。