祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201109
イエスの力ある業 ③ 「泣かなくても良い。」
イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。
主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
人々は恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現われた。」とか、「神がその民を顧みてくださった。」などと言って、神をあがめた。イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。(ルカ7章11-17節)
ナインという町はガリラヤ湖の東南東20キロ程の所にある小さな町で、イエスの出身地ナザレのすぐ南に位置しています。イエスが弟子たちや群衆に囲まれてその町の近くまで来たとき、葬式の行列に出合いました。その町の誰かが亡くなったのです。人が亡くなるのを見るのは悲しいものです。特に、家族や親しかった人が亡くなるのはとても悲しい耐えられない経験です。けれども死は現実です。誰の上にも容赦なくやってきます。
その時ナインの町で亡くなった人は、やもめの一人息子でした。どういう事情で夫を亡くしたのかは分かりませんが、母親ひとりで息子を育てるにはなみなみならない苦労があったに違いありません。生活のことだけでなく、教育のことや身の回りの全てのことを母親ひとりでやらなければなりませんでした。聖書によると、その息子が亡くなったのは青年になってからのことでした。母親は一人息子を青年になるまで育て上げたのです。息子がいたからこそ母親は頑張れたのです。息子が唯一の生きがいであり希望だったからです。やっと大きくたくましく育って安心できると思った矢先に息子は死んでしまったのです。母親にとってそれは全てを失うことでした。どんなに力を落としたことでしょう。その苦労を良く知っていた町の人たちも、この時ばかりは慰めようがありませんでした。母親とともに葬りの行列に付き添って一緒に泣いてあげることしか出来ませんでした。
そこにイエスが通りかかったのです。イエスはその母親の悲しみを知っておられました。当時はそういうやもめが大勢いたことでしょう。また、その行列に連なっていた多くの人々も、もし永遠のいのちの約束を受け取っていなかったら、何の希望も持たずに死に直面しなければならないこともイエスは知っておられました。そのような人々の注目する中でイエスはその母親に「泣かなくてもよい。」と言われたのです。
イエスがこの母親に声をかけられたのには理由がありました。
イエスはやもめとなった母親の苦労がどんなに大変なものかをよく知っておられたことでしょう。また、やっと成長した息子を亡くしたこの母親の悲しみと無念さも理解しておられたに違いありません。イエスはその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われました。イエスが奇跡を行なってくださり、その息子は生き返るからです。確かに、その母親の当面の悲しみはなくなります。もう泣く必要はありません。けれども、この息子ひとりが生きかえるだけでは、他にも大勢いたであろうやもめたちの問題が解決するわけではありません。多くの人々が持っていたさまざまな悲しみ、特に愛する者を失った時の悲しみも解決しません。問題の原因はもっと深いところにあるからです。イエスはこの奇跡によって、人々の目を神に向けさせようとなさいました。
町の人たちはこの母親の献身的な努力とその苦労の悲しい結末を知っていました。彼らは「神は決してお見捨てにはならない」ということを実感したいと切に願ったことでしょう。失望したり苦しんだりしている人を神はお見捨てにはならないことを多くの人々が目撃しました。さらに、本当の救いは、これからイエスが行なおうとしておられる、十字架による罪の購いと、復活による永遠のいのちの希望にあることにも人々の目が向けられる必要があります。
イエスの奇跡は奇跡だけでは終わりません。人々が目さきの願いを叶えていただくことだけにとらわれるのではなく、全ての祝福の源であるイエス・キリストに心を向けるようになるまで続くのです。
人々は恐れを抱き、神をあがめた。イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。(ルカ7章17節)
と書かれているように、この出来事がユダヤ中に広がって、多くの人々がイエスに注目するようになります。反対者たちはますますイエスをなきものにしようと計略をめぐらします。こうして、全ての人がイエスを受け入れて神の子どもとなって救われるか、それとも、イエスを拒んで永遠の滅びに落ちるかが分かれるのです。
あなたがどんな失意のどん底におられる時にも、イエスはそれを知っておられます。
あなたのそば近くに来てくださり、あなたに深い同情をよせて「泣かなくてもよい」と言ってくださいます。けれども、イエスはそれ以上に、あなたの魂が神との和解を受けて、永遠の命の希望を抱きつつ、どんな時にも平安と喜びを失わない神の子どもとなることを願っておられるのです。
悲しみや苦しみをそれだけで終わらせないでください。それをイエス・キリストがあなたに近づいてくださる機会としてください。十字架による購いを信じて受け取り、イエスの完全さのゆえに何の心配もなく神の前に出られる人になってください。イエス・キリストがあなたのために死んで復活してくださったことを信じたとき、あなたには神とともに生きる永遠の命が約束されるからです。