祈りの家族への手紙:2011-10

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 神はあなたの人生を喜び、楽しみとしておられます。

 私の母は95歳になりました。あまり元気とは言えませんが、聖歌「今日まで守られ」を歌うと、気分の良い時には歌にあわせて口や体を動かしたりします。けれども、肉体的には年々弱っていくことが分かります。そういう母ですが、少しでも長く生きてほしいと願わずにはいられません。母の姿を見て考えさせられることがたくさんあります。

 私たちの体はどんなに大切にしていても、年とともに弱って行くことは避けられません。けれども、霊的にはいつまでも元気さを保つことが出来ます。ですから、あなたが身体も健やかで霊的にも元気に燃えておられるようにと心から願っています。けれども、もっとすばらしいことが聖書の中に書かれています。

 イザヤ書65章19、20節にこうあります。

 わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も、年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に達しない者は呪われた者とされる。

 イザヤは「そこでは百歳まで長生きしない人は不幸な人だと思われる」と言っているのです。

 これは預言者イザヤを通して神ご自身が私たちに語っておられることばです。神は私たちのことを「わたしの民」と呼び、私たちに100年以上のよわいを願ってくださっているのです。しかも、私たちを喜びとし、楽しみとしてくださるのです。私たちにそのような値打ちがあるのでしょうか。そうではなく、神が私たちをそのように造ってくださったのです。何の理由も無いのに、このようなすばらしい被造物を心をこめて精密にお造りになるでしょうか。

 最近私は脳ドックを受けました。大きな機械の中に上半身を固定されて突っ込まれ、40分間、何度も調べられました。その結果、脳とその周りの血管の隅々までがたくさんの写真となって映し出されました。その写真を見て、改めて私たちの体とその仕組みのすばらしさに感嘆させられました。目が見えること一つを取り上げても、大変に手の込んだ仕組みです。しかも、見たもの全てを次々に記憶して分類し、思い出すべき情景をいつでも思い出し、いらないものを消して次の情景を記憶するのです。それを100年間でも続けることが出来るのです。それを私たちの小さな脳が全部やってくれます。その他の機能や仕組みも同様に素晴らしく完璧です。一つ一つ取り上げて話し始めたらきりがありません。しかも、私たちは機械ではなく心と感情を持っており、神に似た霊的な存在であり、神と交流を持つことが出来るのです。

 私たちが何の意味も無くそのように造られたはずはありません。神はご自分がお造りになったすべてをご覧になって良しとされたのです。それに対して関心を持ってくださらないはずがありません。

 私たちはそのような神の期待に応えているでしょうか。私たちに与えられた素晴らしい機能を神の目的にかなって十分に活用しているでしょうか。

 私たちはその能力を神の喜びのためよりもむしろ自分の快楽のため、自分の欲望を満たすために用いてきたのです。しかも、一旦そうなると簡単には元に戻りません。ますます神から遠く離れて自分勝手な道に進み、素晴らしい能力を争いや破壊のために用いて、自らに苦しみと絶望を招いています。

 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ53章6節)

 神から離れて自分勝手な道にさまよい出た私たちの背きの咎を全て負ってくださったのは神の子、イエス・キリストであり、神ご自身です。それは、私たちがもう一度神の喜びとなり、神の楽しみとなるためです。イエス・キリストを主として心に受け入れ、私たちの全ての不従順の罪を告白して、イエスに罪を全て負っていただくのです。そうすれば、神は私たちの過去の罪をご覧にならないでイエス・キリストの聖さと正しさを私たちの上に見てくださいます。こうして、私たちはもう一度その導きと教えに従うことによって、創造された本来の目的にそって、神の喜びとなり、神の楽しみとなることが出来るのです。

 ちょうど、幼子がそこにいるだけで親にとっては喜びであり、楽しみとなるように、神は私たちの存在そのものを喜びとし、楽しみとしてくださいます。何か特別なことを要求しておられるわけではありません。ただ幼子のように全ての点で神に頼りきって生きることです。良い行ないや良い性質はそれに従って自然に生まれてきます。

 私たちが100歳まで長生きすること自体は決して不可能ではありません。現に、聖路加病院の日野原医師は現在100歳ですが、今も現役で働いておられます。他にも100歳以上でも元気な人はおられ、その数は年々増え続けています。けれども、ただ長く生きるということよりももっと大切なことは神の喜びとなり、神の楽しみとなる人生をめざすことです。それは私たちにとっても大きな喜びとなるからです。

 本当の喜びは外から与えられるのではありません。自分の中からあふれ出てくるものです。物質的な豊かさや才能や境遇が楽しみをもたらすのではなく、私たち自身が神の喜びとなり、神の楽しみとなる人生を生きることによるのです。私たちはそのように造られているからです。

 私たちはあまりにもしばしば、神に願い求めることばかりをして、自分自身を神に喜んでいただくことを忘れているのではないでしょうか。

 どうか今日から「神の喜びとなり、神の楽しみとなる」ことをあなたの喜びとするような、祝福された人生を長く生きてください。あなたのためにお祈りしています。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事 桜井 剛