祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201111
イエスの力ある業 ④ 12人の使徒が選ばれる
それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9章35-38節)
そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。(マルコ3章14、15節)
彼らは使徒と呼ばれ、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモンそしてユダでした。
後にイエスを裏切ったユダに代わって使徒たちによってマッテヤが加えられれました。
選ばれた使徒たちはキリストのメッセンジャーとして各地に遣わされ、病人を癒し悪い霊を追い出し、神の国の訪れを伝えました。
イエスは選ばれた使徒たちにこうお命じになりました。
「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。どこででも一軒の家にはいったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。」(マルコ6章8-11節)
イエスが12人の使徒を選ばれたことには特別な意味がありました。神は救いの道を人々に伝える働きを私たち人間に託されたのです。
使徒として選ばれた人が特別に優れていたからはありません。神がさせようとしておられるのですから、誰にでも出来るのです。それを象徴しているのがペテロです。
ペテロは12使徒の中でも一番熱心な人でしたが、脱線や失敗も多かったようです。イエスを捕えに来た人々に刀で立ち向かって切りかかってイエスにいさめられたり、「主のためには命も惜しみません。」と言ったかと思えば、「あなたもイエスの仲間だったでしょう。」と言われて、「あんな人は知らない。」と言ってしまいました。そして、そのすぐ後で激しく後悔の涙を流しました。神はそういう人でも用いることがお出来になるのです。ですから、あなたや私を用いることもお出来になります。しかも、それによってあなたの周りだけでなく、世界中が変わることもあり得るのです。
弟子たちに聖霊の力が注がれ、その力を受けたペテロは変わりました。彼は大勢の人々にイエスの教えを大胆に語るようになりました。その教えに従う人々の数が増し加わり、やがてパウロという迫害者の人生を変えました。
こうして、イエス・キリストの福音がまたたく間に世界中に広がっていったのです。
12月になると、世間では何も分からないままクリスマスの雰囲気だけが漂い始めます。大勢の人がイエスの誕生を祝ってくれるという喜びの半面、本当に分かってくれているのだろうかという悲しい半面もあります。ですから、それを福音を伝える良いチャンスとして用いることにしましょう。それがイエスの願いであり、私たちの使命でもあるからです。
家族であれ、友人であれ、福音を伝えることは決して特別なことではありません。たしかに、イエスの弟子として、永遠の命にかかわる重大なことをまかされているのですから、いい加減に扱うことは出来ませんが、恐れる必要もありません。優等生の見本を見せようとして恐れるあまり、何も出来なくなってしまうことがしばしばありますが、そんなに構えては、相手も緊張してしまいます。ペテロのように、ありのままの姿でいいのです。失敗を恐れる必要はありません。私たちの側には神がついておられます。ただ、神があなたの心を動かして何かをさせようとしておられる時には大胆にそれに従ってください。あなたの想像以上のことが起こります。
イエスが去って行かれた後、神の国の福音を伝えたのは12人の使徒を中心にしてキリストに従ったごく普通の人々でした。現代においてはそれは私たちの役目です。けれども、それはイエスの力ある業の続きでもあります。イエスは今も働いておられます。イエス・キリストを心に受け入れた人々を通して世界中で力あるわざが行なわれています。困っている人、絶望している人、弱りはてている人に寄り添い、イエスがガリラヤにおられた時に行なわれたと同じように奇跡を行なってくださるよう求めています。あなたも私もイエスの弟子です。私たちも共に働いてその奇跡を見せていただこうではありませんか。イエスはこう言われます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25章40節)
イエスに従っていた人々にはこう言われました。
わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(マタイ10章42節)
イエスとともに働けることは特権です。誇りです。
自分だけで祈ってはいるけれどもまだ一度も福音を伝えたことがないと言われる方にお勧めします。今年のクリスマスにはぜひ一歩踏み出してイエスの弟子のひとりになってください。と言っても、決して難しいことをする必要はありません。ただ言うべき時には一言、「私はクリスチャンです。」と言ってください。
「クリスチャン」とは「キリストに従っている者」という意味で、初めは弟子たちへの悪口として使われていた呼び名です。けれども弟子たちはその悪口をかえって誇りと思って受け入れていました。
「私はクリスチャンです。」の一言が、先ず、あなたを変えてくれることでしょう。