親愛なる祈りの家族の皆様。
最も偉大な万物の創造者を心からほめ称えることは人の本分です。
イエス・キリストというと、今から2000年前の最初のクリスマスの日に人の姿となってこの世に来られた方を想像するでしょう。でも、それだけではありません。この方は初めから神ご自身であり、万物の創造者なのです。私たちには、大きさも形も完全には把握し切れない大宇宙をお造りになった方を、私たちの小さな頭で理解できるはずがありません。けれども、人となってこの世に来られたイエス・キリストを通してある程度は理解できるようになりました。この方は神としての全ての品格を持っておられる神ご自身なのです。これを知ることはとほうもなく大きな知恵であり、人間としてはとても大きな進歩です。私たちはイエス・キリストを通して全能の神の一面を正しく知り始めたのです。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。(初めから神と一致していた、という意味)すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネ1章1-3節)
けれども、私たちが神に完全に知られているように、神を完全に知ることが出来るのはもっと先のことです。
その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 (コリント第一 8章3節)
私たち人間はこの地上に生まれ生活し、そして、やがてこの世を離れて行きますが、その間に私たちが行なうべきことは何でしょうか。ただ漫然と生きることでしょうか。それとも、財産を築き、名を残し、代々にそれを受け継がせることでしょうか。多くのことを見たり経験したり知識を増し加えて楽しむことでしょうか。人の役に立つことをして、人類の進歩に貢献することでしょうか。どんなに大きなものを築いたとしても、また、どんなに多くのものを残したとしても、そのような働きはやがてみな消えていくか、いつかは自分とはかかわりの無いものとなって忘れられてしまいます。自分自身をいつまでも残すことは出来ないのでしょうか。
物心ついて以来、誰でも自分を意識し見つめ続けています。けれども、自分がどこから来てどこへ行くのかを知らないまま、全ての営みを自分を中心にして行なってきました。しかし、「自分とは一体何者だろう」と考えることが何度もあったに違いありません。
人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
(詩篇8篇4節)
自分がどこから来て、自分の最後はどうなるのか、誰にもはっきりとは分かりません。けれども、誰かがそれを知っているはずです。誰かが自分の存在に関与しておられるはずです。自分を始めてくださった方がおられて、その方が全てを知っておられるはずです。その方を知ることが出来たなら、その造り主を愛し敬う心がわいてくるに違いありません。
神は初めから私たちをそのようにお造りになりました。永遠から永遠までおられる神とのかかわりを、私たちがしっかりと築き、造り主を造り主としてあがめ礼拝する心を持つためです。
事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。
これはすべての人の本分である。(伝道の書12章13節)
これこそ、この世に生れてきた私たちがなすべき本分です。私たちの全ての営みがイエス・キリストを神としてあがめ、礼拝することを土台にしている時、全てが調和し、造られた本来の機能を回復し、毎日の生活に喜びが生れ、人生に意味を感じ、祝福と繁栄がともなってくるのです。
心の中でキリストを主としてあがめなさい。(ペテロ第一 3章15節)
イエス・キリストがお生まれになった時、東の国から博士たちがはるばるやって来て、最も高価な贈り物をささげて幼子イエスを礼拝しました。彼らはこの幼子こそ、はるか昔から預言者たちによって告げられていた、全人類の最終的な王となられる方であることを悟っていたからです。
礼拝は、人間に出来る最高の行ないです。
礼拝とは神を自分の上にいただき、全身全霊をもって神と一つ心になることです。造り主をそのようにあがめ礼拝することは、創造の初めから人の本分だったのです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネ4章24節)
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ12章1節)
クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする時です。けれども、イエス・キリストがどのような方であるかを知っているかどうかによって、そのお祝いの仕方は全く違ったものとなります。
あなたは今年のクリスマスをどのようにお過ごしになっていますか。カレンダーの中の一つの記念日としてでしょうか。教会の行事の一つだからですか。それとも、目に見えない神が、溢れるばかりの愛故に人類の歴史の中にその姿を顕わしてくださったことを心に受けとめるときとしてでしょうか。私たちが何者なので神はこれほどまであなたや私を大切な者と見てくださっているのでしょう。クリスマスはこの驚くべき愛を心にとめて創造主を礼拝する時です。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛