祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201112
イエスの力ある業 ⑤ おいでになるはずのお方
さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(マタイ11章2-6節)
「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか。』とヨハネが申しております。」ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカ7章20-23節)
マタイとルカの福音書にこの同じ記事が書かれています。
すでに捕えられて獄中にいたヨハネがイエスのもとに弟子たちを遣わしておいでになるはずの方は、あなたですかと尋ねさせた記事です。
このヨハネはバプテスマのヨハネと呼ばれていて、荒野で質素な生活をしながら、約束のメシヤを待ち望み、ユダヤ民族に古くから伝わる神のことばを学ぶことと祈りとに専念していました。そして、来たるべき救い主を迎えるために罪を悔い改めて洗礼(バプテスマ)を受けるよう人々に教えていました。その教えに賛同し、彼のもとに来て弟子となる人たちも多くいました。
多くのユダヤ人たちは旧約聖書のもとになっているユダヤ民族に伝わる神のことばを幼い頃から学び、多くの人々がその教えを暗唱していました。その中には律法があり、歴史があり、詩と讃美があり、預言があります。彼らはその預言のことばを詳しく学び、イスラエル民族の最終的な王となられる方が来られて、民族を解放し、永遠の王国を建設すると信じていました。敬虔なユダヤ人は誰もがその方の到来を待ち望んでいたのです。ヨハネはその方をおいでになるはずの方と言いました。
ヨハネはイエスがメシヤであることをすでに信じていたはずです。イエスを最初に見た時から「見よ、神の子羊」と言って、イエスを来たるべきメシヤとして人々に紹介しました。それなのになぜ弟子たちを遣わしてイエスに尋ねさせたのでしょう。
そこにヨハネの人間的な弱さがありました。
ヨハネは偉大な預言者と呼ばれていました。イエスも、ヨハネを偉大な人物と言っておられます。
わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。(マタイ11章9節)
まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。(マタイ11章11節)
けれども、同時にこうも言われました。
天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。(マタイ11章11節)
ヨハネの役割は、最も偉大な人として、人類の救いのためにこの世に来られた神を人々に指し示すことでした。しかし、彼はあくまでも人間としての弱さの中でその使命を果たしてきたのです。ですから、確かなことを知りたかったのです。イエスご自身から確認したかったのです。「あなたこそおいでになるはずのお方ですか」人には誰にも不安な時があります。神は本当に私の祈りを聞いてくださるのだろうか。神は私のような者も本当に愛してくださるのだろうか。確信がほしいのです。確かなことを知りたいのです。「イエスよ。本当にそうなのですか。」
イエスのお答はこうでした。
自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。
盲人が見えるようになり、足の悪い人が立って歩き、らい病人は癒され、目の見えない人が見えるようになり、耳の聞こえない人が聞こえるようになり、貧しい人が福音を聞いて励まされ、死んだ人さえ生き返りました。神の力以外ではあり得ないことが起こっているのです。
私たちはしばしば神の愛を忘れたり見落としたりします。大きな恵みを受けていることを忘れ、不平ばかりが先に立ってしまいます。それが私たちに不安や不信を与えることになるのです。それは、必ずしも不信仰ではありません。それは人間的な弱さです。その弱さをそのままにしておかないで、神の恵みと奇跡の数々をしっかりと見つめてください。そうすれば不安や不信から立ち上がることが出来ます。
イエスは言われました。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。
ある人たちは、こんなにも素晴らしい奇跡の数々を見ていながら、イエスに逆らい、イエスを裏切り、人類を救うためにおいでになるはずのお方を十字架にかけて殺してしまいました。
イエスにつまずいたユダヤ人の指導者たちは、イエスを憎み、イエスに反抗して、イエスを通して示された神の愛を見落としてしまったのです。
私たちはイエスが行なわれた数々の奇跡や力ある業を見て、そこに働いている神の愛をしっかりと見届けようではありませんか。
人となられたイエスこそ、この世にあらわれてくださった神ご自身の姿だからです。
イエスこそ、あなたのためにおいでになった方です。そして、やがて再びおいでになるはずのお方です。