祝福のメッセージ:2012ー01

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201201

イエスのたとえ話 ① 種蒔きのたとえ

 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。

 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13章1-8節)

 イエスは病気の人々を癒し、奇跡を行なって人々を苦しみの中からお救いになっただけでなく、多くの真理のことばを人々に語って教えられました。

 今回はその中から、たとえ話による真理の説きあかしについて学んでまいります。

 イエスは多くのことをたとえ話によって教えられました。その中でも有名な教えが種蒔きのたとえ話です。

 イエスはたとえ話の内容を改めて細かく説明なさることはほとんどありませんが、種蒔きのたとえ話の場合は、弟子たちの求めに応じてその意味を解説なさいました。

 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。

 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。

 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイ13章17-23節)

 旧約聖書の時代には神に用いられた多くの預言者たちが、神の代弁者として神の意思を読み取ってそれを人々に伝えました。神の肉声を直接聞いていたのではありません。

 神の教えを受けるため神の肉声を直接聞けたらどんなにいいかと思ったことでしょう。

 しかし、弟子たちは神の子イエスの声を直接聞き、神ご自身から教えを受けたのです。

 イエスの話を聞いた人々は預言者たち以上の特権が与えられていたのです。

 今だったら一言も残さず、しっかりと録音しておいたことでしょう。しかし、私たちに伝えられているのは彼らの証言を注意深く集めた福音書の記者たちによる記録です。

 「ですから、種蒔きのたとえを良く聞きなさい。」とイエスは言われました。

 神の国の福音は地に蒔かれた種のようです。種は四種類の違った土地に落ちました。

 第一の種は道端の堅い土地に落ちました。ころころと転がって行ったことでしょう。その言葉の意味を考えることも、自分の中に受け入れることもしません。水分がないために芽を出すことも根を張ることも出来ません。そのうちに、せっかく聞いた福音のことばも、悪い考えや紛らわす者によって奪われてしまいます。

 「今は生活のことで忙しくて、先のことを考える暇などない。後で考えればよい。」

 「神が愛なら、なぜ世界中に苦しんでいる人がおり、悪者たちが栄えているのか。」「イエス・キリストだけが神であるはずがない。良い教えは他にもあるはずだ。」

 そういう声に紛らわされて、福音のことばを受けとめてよく考える前にそのことばは奪われていってしまうのです。

 第二の種は土の薄い岩地に蒔かれました。石が多く土が少ないためにすぐに乾いてしまう土地です。ああいい教えだ。心が安らぐような気がする。とは思っても、そのことばが心にしっかりと根を下ろしていないために、困った問題や困難に直面するとすぐにその教えを忘れてしまいます。

 第三の種は茨の生い茂る土地に蒔かれました。芽を出して根を張りましたが、周りに茂る茨に覆われて十分に育つことが出来ません。心に受け入れた福音のことばはその人の中で育っています。けれども、福音の教えを第一にしていないと、より良い生活やいっそうの豊かさを求めることに心を奪われてしまい、福音のことばを育てることがつい後回しになって、実を結ぶに至らないのです。

 第四の種は良く耕された良い地にまかれました。土地はその種を育てるために整えられ、手入れが行き届き、大切に守られているために、大きく育って豊かな実を結ぶのです。みことばをしっかりと受けとめ、日々思い巡らし、その教えを実行する人は豊かな祝福を受け、永遠の命に至る実を結ぶのです。福音の教えを聞いてそれを悟り、その実を結び、それを何倍にも大きく増やして次の世代に渡す人になってください。

 福音のことばには命があります。命があるので実を結び何倍にも増えるのです。

 その命は次の世代に受け継がれ、そこでもまた何倍にも増え広がります。

 私たちの心に蒔かれた福音のことばが次の世代にも受け継がれて増え広がるために、蒔かれた種をしっかりと育て、たくさんの実をのこそうではありませんか。

 次の世代の人々による福音の種蒔きはその収穫の実にかかっているからです。