祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201204
十字架への道 ② 信じる者は永遠のいのちを持つ
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。
また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5章19-24節)
イエスが安息日を破って病人をお癒しになっただけでなく、神を父と呼んでご自分を神と同列に置いて話をしておられました。そのために、ユダヤ人たちはますますイエスを殺そうとしました。そこでイエスは彼らにこのように言われたのです。
イエスがそう言われたのは、ユダヤ人たちへの弁明のためではなく、イエスが神から遣わされた方であり、神ご自身であることを全ての人が知るようになるためです。イエスを神として信じることは本当のいのちを生きるためには不可欠であることを明確にお示しになるためでした。それだけではなく、「神は全ての権限を神の子であるイエスにお与えになった」と宣言なさいました。神だけにしか出来ない、人を裁く権限も、永遠のいのちを与える権限も、神はイエスにお与えになりました。
イエスは始めから完全に神と同格であられたのです。ユダヤ人たちは救い主であるメシヤが神から来ることを知っていたはずです。それにもかかわらず、イエスがご自分が神から来られたことを明らかになさったことでイエスを非難し始めたのです。
ユダヤ人たちは旧約聖書を詳しく学び、救い主であるメシヤの到来を切に待ち望んでいました。けれども、今自分たちの目の前に顕れたイエスをメシヤと認める事が出来なかったのです。そればかりか、神を冒涜する罪でイエスを殺そうとさえし始めたのです。それは、自分たちの救い主を自分たちで十字架にかけるという結果になってしまうのです。こうして、彼らとの対立がますます激しくなりました。
けれども、素直にイエスを受け入れていた民衆は全く違う見方をしていました。
数々の力ある業によって病人を癒し、悪霊を追い出し、飢えた人々に食べ物を与え、助け、教え、いたわり、励まし、導いてくださるイエスは自分たちの王となる方だと思っていました。ある過激な人たちは、イエスを自分たちの王として担ぎ出してローマの支配に対抗しようとさえしました。イエスは確かに王となるお方です。けれども、地上の国の王ではありません。地上の王たちは次々と変わって行きました。良い王もありましたが悪い王もいました。しかし、どの王も一時的に自分の考えで国や民衆を支配し治めていました。
しかし、イエスの場合は違います。イエスは十字架にかけられる前に総督ピラトの前でこう宣言なさいました。
「わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18章36節)
イエスは衰退し滅びゆく地上の国の王ではなく、私たちの内側から始まって、永遠に続く神の国の王です。
イエスは自分の考えで国を支配する王ではありません。
「父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。」
イエスは天地万物の創造者である神の御心を行なう王です。人の姿で地上に生まれ、私たちと同じように地上で生活をなさいましたが、神と心が一つにつながっている神ご自身だからです。
イエスは民衆を支配し利用する王ではありません。
「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。」
イエスは私たちにいのちをお与えになる王です。地上においては私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、いのちを投げ出してくださいました。神の国においては、私たちが神の国にふさわしいいのちを持つようにと、永遠のいのちを与えてくださるのです。
イエスは王の王であり、初めから、万物を創造された神と同格の方です。ですからこう言うことがお出来になるのです。
「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」
このことを可能にするために、イエスはご自分に与えられている務めとして十字架への道を進まなければなりませんでした。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ3章23、24節)
イエスを信じる者は罪の故に死ぬべき運命から、イエス・キリストの贖いによって神の子となるよう約束され、永遠のいのちへと移されるのです。このことは、神の子が十字架の上で死んで罪の代価を支払ってくださることによってのみ可能となりました。
イエスは十字架への道へと進もうとしておられたのです。人類の歴史の中でまさに、人間の罪の贖いが行なわれようとしていました。それ故に、今あなたや私も罪の中から永遠のいのちへ贖われているのです。