親愛なる祈りの家族の皆様。
今私たちの目に映っているものはどんなものでも全て途中の状態です。何一つ完成しているものはありません。宇宙は猛烈な速さで膨張を続け、地球は変化し続けています。私たちの生涯も日々刻々と変化しています。たとえ何かを完成したと思っても、そこから次の段階が始まるのです。本当に完成するのはまだこれから先のことです。私たちの上に起こる出来事についても同じことが言えます。不正が見過ごしにされ、正しい人が苦しみに合い、何の落ち度もない幼子が命を落とし、どうしても腑に落ちないやりきれないことがたくさん起きています。それに対して「どうして?」という強い疑問を持つことがしばしばです。けれども、そこで全てが終わるわけではありません。私たちの目には見えませんが、その先がまだ続いているのです。
キリストの姿に似たものとなることを目ざしている私たちクリスチャンも今はまだ成長の途中の段階にあります。どんなに立派な人でもまだ完成してはいないのです。たくさんの不完全な部分が残っています。けれどもやがて完成する時が来ます。今、着実に完成へと向かっているのです。
私がまだ小さな子供だった頃、母がよく足袋を作ってくれました。その頃はまだ靴下が一般的ではなく子どもたちは足袋をはいていました。母が型紙に合わせて布を切っている様子をそばで見ていましたが、曲がって不思議な形をした布切れが足袋になるようには思えませんでした。ところが、出来上がって見ると、私の足にぴったりの七文半の足袋になっていました。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。
しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。(ヨハネ第一3章2節)
私たちにはまだたくさんの欠点があり、ちょっとした困難にも落胆したり不平をもらしたりしてしまいます。主イエスが願っておられるような、主とともに苦しみに耐え、互に愛し合い、赦し合えるような者ではないことを痛感させられます。けれども、がっかりしないでください。私たちがキリストと同じ栄光の姿になるための行程はまだ終わってはいないのです。確実に始まっており、完成に向かって進んでいるのです。
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1章6節)
私たちは努力すればある程度自分の性格や能力を変えることが出来ます。体も訓練によって強くし、引き締めることが出来ます。けれども、完全な姿にまで完成することは出来ません。私たちを完成してくださるのは神です。ですから、自分で自分を変えることが出来ないからと言って失望する必要はありません。神が私たちをキリストと同じ栄光の姿に完成してくださるからです。
では、私たちは何もしなくてもいいのでしょうか。何の努力もしないで神が喜んでくださるような人になれるのでしょうか。
長い間宣教師として日本に来ていた私の友人が交通事故によって、下半身が動かなくなってしまいました。しかも、右手の力も失ってしまいました。一人では歩くことも立つことも出来ません。オレゴン州のポートランドの病院に入院していると聞いてお見舞いに行きました。そこで私が見たのは、一生懸命リハビリに励んでいる友人の姿でした。二日ほど滞在して彼のために病院が計画したリハビリのプログラムを懸命に実行している様子を近くで見ていました。彼のがまん強さと努力には感心させられました。しかし、私が見ていた間には何の改善もなく進歩も見られませんでした。
数年後再び彼に会った時には彼は自分の足で歩き、車も自分で運転することが出来るようになり、教会の牧師として活躍していました。まだ、麻痺している部分があり、痛みも残っているとのことでしたが、「もうしばらくこの体と仲良く生きて行くのだ。」と言って笑っていました。けた外れの努力によって半身不随は克服しましたが、それが全てではなく、やがてもっとすばらしい完成した栄光の姿になることを確信していたからです。
努力は決して無駄になることはありません。すぐに結果を見ることが出来ることもあれば、すぐには見られないこともたくさんあります。けれども、神は全てをご覧になっています。私たちを完全な姿へと完成してくださるのは神だからです。
その時の喜びはどんなに大きなものでしょう。考えてみてください。私たちはキリストと同じ栄光の姿に変えられるのです。
今、多くのスポーツ選手たちがロンドンオリンピックを目ざして並々ならない努力をして記録に挑戦しています。金メダルという素晴らしい栄冠を獲得するためです。私たち一般人も彼らを応援しています。彼らの努力もそれなりに報いられることでしょう。けれども金メダルを獲得出来るのはほんのわずかな人だけです。
誰でも地上においては多くの苦しみとたたかい、より良い人生を目ざして努力を積み重ねています。今もそれは続いています。より健康な体、より良い生活、より意義のある人生を築こうと願うからです。しかし、それだけが人生の全てだとしたら、あまりにも空しい束の間の人生です。私たちの短い人生の間にたくさんの美しいものを見させ、素晴らしいことを経験させ、心に多くの感動を与えてくださっている神の愛に触れて、その全てのことに感謝することが出来るなら、不条理だと思っていた全ての事が皆つながり、ただ感謝があふれて来ることでしょう。神が私たちのために備えてくださったものは全て素晴らしいものばかりです。そのうちのほんのわずかしか経験できなかったとしても、その恵みは十分です。実際、神が注いでくださっている恵みの百分の一も千分の一も私たちは活用してはいないのです。けれども、私たちの完成の日には、神は私たちへの全ての恵みを注ぎ尽くして神とともに永遠を過ごすにふさわしい栄光の姿にしてくださるのです。
ですから、私たちを愛し、栄光の姿へと完成してくださるイエス・キリストから目を離さないで、しっかりとこの方につながっていましょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード世界宣教団
日本主事 桜井 剛