祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201206
十字架への道④ 彼の言うことを聞きなさい
それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。」と命じられた。(マタイ17章 1-9節)
この記事はマルコの福音書9章とルカの福音書9章にも書かれていて、イエスの変貌と言われています。その山はヘルモン山であったと言われていますがクリスチャンたちの間では変貌山とも呼ぶようになりました。イエスの姿が太陽のように輝き、衣は光のように純白になり、まったく変わって輝かしい栄光の姿に見えたからです。しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話をしているではありませんか。3人の弟子たちは驚きと恐れでその場にひれ伏してしまいました。
この出来事がなぜどのようにして起こったのか私たちには解明できません。けれども、いつもイエスと一緒にいて、イエスが行なわれた数々の奇跡と力ある業をま近かで見ていた弟子たちでさえ、その栄光の姿に恐れを感じるほどの変貌でした。
ユダヤ民族にとってモーセとエリヤは神に用いられた代表的な偉大な預言者たちです。彼らは神のことばを神から直接聞きイスラエルの民に神のご意思を伝えていました。
3人の弟子たちはイエスの話に耳を傾けていたモーセとエリヤを見て、イエスが預言者たちに直接そのご意思を伝える神ご自身の姿であったことに目が開かれたに違いありません。
イエスは人と同じ姿になってこの世に来られましたが、実は、人類を罪から救うという遠大な計画を実践する神ご自身の姿であったことがこうした出来事によっても分かります。
ペテロはその栄光の素晴らしさに感動し、そこにいつまでもとどまりたいと願いました。ここに幕屋を3つ建ててイエスとモーセとエリヤにいつまでもそこに住んでいただきたいと思ったのです。けれども、イエス・キリストが神としてみ座につき預言者や聖徒たちに神のことばを告げるのを私たちが見るのはもっと後の最後の時までとっておかれています。その代わりに弟子たちが聞いたのは天からの声でした。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」
弟子たちが変貌山で見たイエスの姿は、今まで彼らが見て来た姿とは違っていました。いつも多勢の群衆とともにいて、病人に手を置き、お腹を空かした人々にパンを食べさせ、病気に苦しみ罪に悩む人々の中を歩んでおられた普通の人と同じような姿とは違っていたからです。弟子たちが変貌山の栄光の中で見たのは、人類の歴史を宇宙創造の規模で支配する権威を持った全能の神、王の王としての姿でした。
天からの声は「彼に聞け」と命じていました。イエスのことばは神のことばです。私たちはそのことばに耳を傾けて聞くべきです。
3人の弟子たちがその栄光の場所にとどまり続けることは許されませんでした。
イエスは神としての権威と力によってご自分の栄光を地上で現わすために来られたのではないからです。イエスによって現わされようとしていた神の栄光とは、十字架の道を選ぶことでした。イエスは最後の晩餐の席でこう祈られました。
「あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」(ヨハネ17章1節)
イエスが神としての栄光の位を捨てて地上に来られたのは、神に背き続けた者に定められている永遠の滅びから人類を救うためです。私たちを滅びの中から救うためにはご自分のいのちに代えて罪を贖うという、神にしか出来ない贖罪のわざが必要でした。イエスはそれを完成するために十字架の苦しみへと向かう道を選び、神の権威と力をそこにお用いになったのです。
イエスが神と等しい栄光の姿のままにとどまられたなら、罪と永遠の滅びの中に定められている私たちには望みはありませんでした。
イエスが人の姿になってこの世に来られて私たちと同じように地上を歩まれ、十字架でいのちを投げ出して私たちを永遠の滅びから救う道を選ばれたので、今私たちには永遠のいのちの希望があるのです。
輝かしい栄光の姿を見せられてとても耐えられず、恐れおののいていた弟子たちに、「起きなさい。こわがることはない。」と声をかけられた時、イエスは栄光の姿を離れ、彼らと同じ人の姿でした。
そして、その姿でイエスは弟子たちとともに山をお降りになり、私たちのために十字架への道を黙々と進まれたのです。