祝福のメッセージ:2012ー09

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201209 

十字架への道⑦ の中におられるイエス

 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18章19-20節)

 この時、イエスはまだ、弟子たちと一緒でした。弟子たちはその時までの3年半をイエスとともに過ごし、イエスが共にいてくださることが当たり前のように思っていました。けれども、そのような日々は終わりに近づいていました。

 もうしばらくすると、イエスは弟子たちのもとを去って行かれてもう一緒にはおられなくなることを私たちは知っています。それをあらかじめ示唆して弟子たちにもそう言われたのです。イエスが去って行かれた後にも、その臨在はいつも彼らと共にあるのです。

 イエスはこれからご自分の上に起ころうとしていることをすでに弟子たちに話し始めておられました。弟子たちはその言葉を信じたくはありませんでした。ペテロは「そんなことがあってはなりません」と言ってイエスをいさめたために「サタンよ、退け!」とイエスに叱られたほどです。けれども、イエスが去っていかれる時は着々と迫っていました。もうしばらくすると、それは現実となるのです。

 イエスの教えは、弟子たちと、当時イエスに従っていた群衆に対して直接語られていました。イエスによって行われた奇跡は、イエスのもとに助けを求めて来た人々やイエスを慕って集っていた人々に対して行なわれました。イエスの教えや力ある業を行なっていただくために人々はイエスと対面している必要がありました。

 しかし、イエスが去って行かれたらどうなるのでしょう。それが弟子たちの恐れていることでした。そこで、イエスは、去って行かれた後も、いつまでも彼らと共におられることを弟子たちにしっかりと伝えようとされたのです。

 「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。」

 しばしば、イエスはこの言葉によって教えを始められることがあります。それは、その教えがとても大切であることを示しています。

 イエスが去っていかれることを信じたくはなかった弟子たちに対して「もう一度、告げます」と強調されたことにイエスの思いやりがこもっているように感じます。

 天の父なる神は私たちの祈りに答えたいと願って待っておられます。けれども、イエスを通してでなければ、私たちは神に近づくことも祈ることもできません。

 私たちが罪を持ったままでは神に近づくことも語りかけることもできないからです。

 ですから、神の前に私たちの罪を取り除き、私たちをとりなしてくださるイエス・キリストが共にいてくださることは、私たちの祈りが神に届くためには不可欠なのです。

 では、弟子たちのもとを去って行かれたイエスが彼らとともにいてくださるためにはどうしたらいいのでしょう。特に、2000年も後の時代に生きている私たちとイエスが共にいてくださることはどのようにして可能になるのでしょう。

 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」とイエスは言われました。

 私たちが同じ信仰の仲間と一緒に心を合わせて祈るとき、信仰を支え合い励まし合うことができます。信仰が成長して祈りが正しく神に向けられるようになります。その時、イエスがそこに共にいてくださることが分かるのです。

 ですから、同じ信仰の仲間が集って、心を一つにして祈ることはとても大切です。教会はそれを実践するために一緒に集って礼拝をし、祈りをしているのです。

 実際に一緒に集ることができないときはどうすれば良いのでしょう。そのようなときでも心を一つにして祈り合うことはできます。たとえ離れていても、心を一つにしてお互いのことを思い、祈り合うのです。祈りの家族はそれを実践しています。

 あなたが祈りのリクエストを送ってくださるとき、私とあなたはイエスの名によって心を一つにして、そのことのために祈ることができるのです。

 神の前に罪の全く無い完全ないのちと引き換えに、私たちの罪を贖うために十字架にかかってくださったイエスが共にいてくださるなら、私たちは神の前に罪の無い者とされて、恐れなく神に近づき、神に祈ることができるのです。そのとき、神は私たちの祈りを聞いて答えてくださいます。

 イエスは最後の晩餐の席で弟子たちに言われました。

 「しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」(ヨハネ16章16節)

 イエスは今も心を一つにして互に祈り合う私たちと共にいてくださいます。

 あなたはもう一人で悩む必要はありません。どんなことでも互に祈り合い、イエスの名によって神のもとにあなたの祈りを届けてください。

 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4章6、7節)