祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201210
十字架への道⑧ エルサレム入城
それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」(マタイ21章1-4節)
そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。(マタイ21章6-11節)
これはイエスがエルサレムへの最後の旅をなさる時の記事で、4つの福音書全てにほとんど同じ内容で記録されています。
イエスの一行はいよいよエルサレムへの最後の旅をすることになりました。オリーブ山はエルサレムのすぐ東にある小高い丘です。そのふもとの村でロバの子を借り、イエスはそれに乗ってエルサレムに入られました。貧しさの象徴とも言えるロバにまたがり、名もない群衆たちに伴なわれたイエスでしたが、それは旧約聖書に預言されている通りのできごととなりました。
「エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。」
(ゼカリヤ9章9節)
豪華な馬車も王の装いもないイエスでしたが、旧約聖書の預言のことばに精通していたユダヤ人たちは、この方こそユダヤ人の王となる方であると信じたのです。
群衆は着ていた上着や木の枝を道に敷きつめて「ホサナ、ホサナ」と叫びながら、自分たちにできる限りのことをしてイエスを神の都エルサレムへと迎えました。
「ホサナ」は「われらを救いたまえ」という、王や神への呼びかけの言葉です。
これを見ていたエルサレムの住民は、いったい何事が起こったのかと驚きました。
住民たちが「この方はいったいどういう方なのですか」と尋ねると、イエスに従っていた群衆は「ナザレ出身の預言者がこられたのだ」と答えました。
こうしてイエスの名はエルサレム中の人々に知れわたったのです。
この時期にイエスがエルサレムに来られたことによって街の住民だけではなく旅行者や商人、巡礼者など、この町を訪れていた全ての人に大きな反響が起こりました。
当時、エルサレムはこの地域の中心的な大都市でした。近隣の多くの国から人や物が出入りしていました。文化的にも、古くから神の都として知られており、何度も再建されたソロモンの神殿はまだその勇壮な姿をとどめていて、ユダヤ人たちが神の都として敬い、遥か遠い国々からも訪問を繰り返していました。
ですから、テレビや新聞がなかった当時でも、エルサレムで起こる出来事はいち早く近隣の国々や人々に伝わって行きました。
それだけではなく、エルサレムでは毎年、ユダヤの習慣に従った各種の記念行事が行なわれていました。この時も、ユダヤ人にとっては最も大切な行事の一つである過ぎ越しの祭りが間近に迫っていました。ですから大勢のユダヤ人が近隣諸国から集まって来ていました。イエスがユダヤ人の王としてエルサレムに入られたことはエルサレムに集まっていたユダヤ人たちにとって見逃せないできごとだったに違いありません。
ガリラヤの田舎で伝道をしておられたイエスがこの大切な時期に当時の中心都市であったエルサレムに来られたのは神のご計画によるものです。そして、これから起ころうとしていることは、過ぎ越しの行事と深い関係があり、ただユダヤ民族だけのためではなく、世界中の人々にかかわる歴史上の重大なできごととなるのです。
医者であり歴史家でもあったルカは、後に、ローマの高官に対してこのように書き送っています。
初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。
それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。(ルカ1章2-4節)
パウロもアグリッパ王に対して、このように証言しました。
これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。
エルサレムにおいてこれからイエスが成し遂げようとしておられることが世界中の人々に知らされるための準備がこのようにして整っていきました。
これから何が起ころうとしているのかは、すでにほとんどの皆さんがご存知と思いますが、このできごとには人類に対する神の深いご計画が秘められていて、何度繰り返して学んでも、なお計り知れない神の愛の深さを知らされることでしょう。