親愛なる祈りの家族の皆様、
2013年の始まりに当たり、私が一番願っていることは、あなたの心に平安があることです。それによって、あなたのご家族や周りの人々ひとりひとりにもその平安が及ぶことです。この平安とは何事もないことではなく、何があったとしても変わることのない平安のことです。神が愛であるゆえに、私たちには平安があるのです。病気をすると免疫の力がつきます。力仕事をすると筋肉が強くなります。困難を克服した人は、もっと大きな困難にも耐えられるようになります。
けれども、そこに平安がともなわなければ、いつまでも頑張り続けられるものではありません。そこに平安がともなうことを保障するのは神の愛です。
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」(ヘブル12章5、6節)
この聖句は私たちが子どもたちを指導するためには体罰その他の訓戒が許されると教えているのではありません。神はどんな訓戒にも愛を持っておられることを保障しているのです。
指導者による体罰が今社会問題になっています。愛の伴わない体罰や訓戒は、何の意味もないばかりか、かえって信頼関係をそこない、大きな害をもたらします。
聖書は「その愛する者」と言って、神の愛を強調しているのです。子どもたちへの体罰を奨励しているのではありません。しかも、神は全てのいきさつを完全に知った上で私たちを訓練なさるのです。自分自身も不完全で未熟である親や先輩が体罰を行なうこととは全く違います。
私の子どもたちがまだ小さかった頃、訓戒と愛とのバランスをとることはとても難しいことだと痛感しました。
あるとき、約束を破ったことを理由に願いを聞いてあげることを強く拒否したことがありました。娘は「これからは、守るから」と嘆願しましたが、私は聞いてあげませんでした。
そのとき、私の心は痛みましたが、私なりに道理を通すことに決めて聞き入れませんでした。しかし、娘の気持ちを考えると決して心穏やかではありませんでした。今も、思い出すたびに胸が痛みます。
そのことを思い出していたあるとき、私はふと気がつきました。私たちが神の御心から外れた行ないをしたり、御心に沿った行ないができなかったりしたとき、それによって私たちは困難な状況にはまり込んで苦しみます。そのとき、神はどんなにか心を痛められることでしょう。不従順な私たちが自分から神の祝福が受けられなくなるようにしているのをご覧になるからです。
自分の間違った行ないによって起こした問題で自分が苦しみ、痛手をこうむるのは当然ですが、私たちが苦しむのをご覧になって一番心を痛められるのは、私たちの行ないの全てを知っておられ、それでも私たちをこの上なく愛しておられる神ご自身に違いありません。私たちは不従順や間違った行ないによって痛手をこうむることによって、神の御心を痛めているのです。
ですから、神の御心を痛めないためにも、また、自分自身の平安のためにも、私は出来る限り神の教えに従った生き方をしたいと思うようになりました。
けれども、私たちはいつも神の御心に沿った生き方ができるとは言えません。私たちの罪の性質はそう簡単には消えませんし、神のご計画の基準は高く、私たちはそれを守り切ることはできないからです。けれどもあきらめてはいけません。神は私たちを愛し、その基準にかなった者にしようとしておられるからです。
神は御心を痛めつつも私たちを教え諭し、時には試みに会わせて、神の高い基準に到達させようとなさっているのでしょうか。私たちはいつか自分の行ないによって神の御心に沿った人間になれるのでしょうか。いいえ、行ないによっては神の基準を満たすことはできません。では、私たちは神の御心を痛めつつ永遠に滅びるしかないのでしょうか。そんなことはありえません。神は愛です。私たちの望みはそこにあるのです。
神は愛のゆえに極限までご自分の御心を痛めることをお選びになりました。私たちと同じ人間となってこの世に来られたのです。そして、私たちの罪による当然の報いを全てご自分の上に引き受けて十字架の上でいのちを投げ出してくださいました。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネ1章1節)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(14節)
イエス・キリストの生涯は、罪のために道をそれた私たちに、神が直接語りかけ、この世に来て救いの道を開いてくださるためです。神は私たちが受けるべき永遠の痛みと苦しみを、ご自分で引き受けて、私たちを滅びから救い、永遠のいのちを与えてくださったのです。ここに、私たちへの神の限りない愛が表されています。ここにこそ、変わらない平安の源があるのです。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5章8節)
神のことばはどれをとっても私たちへの平安を保障するためのものです。
今年もあなたのための聖句を選びました。その聖句はこの手紙の最初の部分に書いてあります。このことばを神からあなたへの愛の語りかけとして、あなたの平安の保障となさってください。
2013年がどんな年になろうとも、神が愛であるゆえに、あなたにとっては平安の年となることでしょう。あなたが神を愛する限り神があなたをお見捨てになることは決してないからです。
今は成長して大人になった私の子供たちは、つたない親たちを愛するゆえに、私たちを悲しませるような生き方をしないよう心がけてくれていることでしょう。そのことが彼らの人生に益として働くよう心から願っています。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛