祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201301
十字架への道⑪ 良きサマリヤ人
イエスがエルサレムに来られて最も多く直面されたことは、ユダヤ人の指導者たちによる妨害でした。イエスが民衆に教えておられる時にも彼らはしばしばやって来て、意地悪な質問を浴びせかけました。
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」(ルカ10章25-29節)
イエスが会堂で教えておられた時、ひとりの律法学者が立ち上がって「神の教えを守り永遠のいのちを受けるためには何をしたらよいのか」とイエスに尋ねたのです。
聖書は、この律法学者は「イエスをためそうとした」と言っています。専門家である自分たちと比べてイエスがどれほどのことを知っているのかをためそうとして質問したのです。
この質問に対して、イエスは「律法、すなわち旧約聖書には何と書いてありますか。あなたはそれをどう読んで学んでいるのですか。」と質問を返されました。さすがに律法学者です。すぐに旧約聖書申命記6章5節のことばを引用して答えることができました。それはマタイ22章、マルコ12章、ルカ10章に記録されています。
するとイエスは言われました。「あなたが読んで学んでいる通り実行しなさい。」
日ごろから旧約聖書を熱心に学んでいたユダヤ人の律法学者は、聖書が何をせよと教えているのかはすぐに答えることができました。けれども、それを実行していなかったために、言い訳に「じゃあ、隣人とはだれのことですか」と聞いたのです。
聖書の教えの大切な点は、教えを聞くだけでなく、また、それを理解するだけでもありません。実行することです。
わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。(ルカ6章47、48節)
律法の教えは頭で理解するよりも、それを実践するかどうかが大切です。イエスは「それを実行しなさい。」と言われました。すると、この律法学者は「では、自分自身のように愛すべき隣人とはだれのことですか。」と尋ねました。
それに答えて、イエスは一つのたとえ話をなさいました。
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(10章30―37節)
このたとえ話は「良きサマリヤ人」と呼ばれています。強盗に襲われて倒れていた旅人を見て、知らぬふりをして通り過ぎて行ったのは、聖書のことを一番よく知っているはずの、ユダヤ人の指導的な立場にあった祭司やレビ人でした。彼らは誰よりも聖書の教えをよく知っていましたが、それを実行していませんでした。
しかし、この旅人を哀れんで親身になって面倒を見たのは、ユダヤ人ではなくサマリヤ人でした。サマリヤ人はしばしばユダヤ人と対立関係にありました。
理解することと実行することでは大きな違いがあります。聖書のことばは神のことばです。それを完全に理解することは誰にもできません。しかし、それを自分なりに実行しようとすることは誰にでもできます。しかも、それが一番大切なことです。イエスは言われました。
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」(マタイ7章24節)
「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行なう人たちです。」 (ルカ8章21節)
アインシュタインが1905年に始めて特殊相対性理論を発表した時、それを理解することができた人は世界中に3人しかいなかったと言われていました。けれども、科学者たちがその理論に従って実験や観察を行なったところ、それが正しいことが証明されました。今では、学生たちの中でも多くの人がその理論を理解できるようになっています。けれども、誰にでも理解できるような理論ではありません。学習と実験によって一つ一つ確かめながら理解が進んでいくのです。
聖書の教えもそれに似ています。その教えを学んだら実行してみて初めてその意味の深さを知ることができます。
イエスは「あなたも同じようにしなさい。」と言っておられます。
せっかく良い教えを聞いてもそれを行なわないですぐ忘れてしまう人にならないで、聞いて学んだら実行して、そこから良いものを引き出す賢い人になってください。
2013年のあなたの聖句は聖書の中のたくさんのことばのほんの一部分に過ぎません。けれども、それがイエスの教えを実践するきっかけをつくり、少しでも助けとなってくれるなら、それほど嬉しいことはありません。