親愛なる祈りの家族の皆さん
最近、ロシアの田舎町チェリャビンスク近郊に落ちたやや大きめの隕石が世界中の人々を震え上がらせました。被害はそれほど大きくならずにすみましたが、もしこれが大都市を直撃したら大きな災害となったことでしょう。
同じ頃(日本時間2月16日早朝)地球に落下すればかなり大型の隕石となりうる小惑星が地球のすぐ近くを通過して行きました。これは重さがロシアに落下した隕石の10倍もある大型のもので、もし地球に落下したら相当な被害をもたらしたに違いありません。
こうした出来事はそんなに頻繁に起こるものではありませんが、私たちの周りには予測のつかない危険が他にもたくさんあります。心配し始めたらきりがありません。
イエスは、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14章1節)と言われました。
私は祈りの家族の皆さんがいつもイエスにあって平安であるようにと願っています。それは、何一つ問題がないことではありません。誘惑と危険がいっぱいのこの世の中にあって、問題が何もないことはあり得ません。けれども、たとえ問題があり、困難があったとしても、心を騒がせないで平安を保つことは出来ます。それは、神を信じイエスに信頼してすべてをお任せすることです。
私たちは自分や家族を守るために何もしなくてもよいというのではありません。イエスは「岩の上に自分の家を建てる賢い人になりなさい」と教えておられます。実際に堅い岩を土台にした地震や津波に強い家を建てて安心して住むように、神を信じイエスの教えを実践する、しっかりとした信仰を土台にした人生を築きなさい、と言っておられるのです。
今ほどそれが大切であり、また自由に出来る恵まれた時代はありません。迫害もなく法律で禁止されることもありません。私たちは自由に祈ることが出来、神はその祈りを聞いてくださいます。
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(コリント第二の手紙6章2節)
ですから、今あなたが持っておられる心の願いをそのまま神に申し上げればよいのです。あなたの苦しみをそのまま神に伝えるのです。神はあなたの祈りに答え、あなたを救ってくださいます。
では、私たちは何でも神に祈りさえすればいいのでしょうか。どんなことでも祈れば神は私たちを助けてくださるのでしょうか。生きておられる神への祈りは、偶像への祈りとは違います。
祈りの答えには2つの段階があり、救いにも2つの段階があることに注意してください。
自分の願いを一方的に申し上げて、ただその通りになることを求める祈りがあり、また、神の御心に沿った願いかどうかを尋ねて「御心ならその願いのように行なってください。」と祈る祈りがあります。そのような祈りは必ず答えられる祈りです。
イエスもそのように祈られました。
「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26章39節)
イエスは私たちにもそのように祈るよう教えられました。
「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイ6章9-11節)
また、救いの2つの段階とは、今ある問題や困難からの救い、そして、全ての問題の源となっている、罪からの救いです。
神はいつでも、正しい祈りをすることを求め、優等生の祈りだけを聞いてくださるのでしょうか。
神は私たちの根本的な問題である罪からの救いだけを重んじて、私たちの小さな問題にいちいち答えてはくださらないのでしょうか。そんなことはありません。神はどちらの祈りをも聞いてくださり、どちらの場合にも救いを与えてくださいます。
どんなことでも、求めて祈ってもいいのですが、あなたの心に平安が与えられることが大切です。
だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1章5節)
けれども、いつも一方的に自分の願いを並べるだけの祈りをするのではありません。どうぞ、先ず心を静めて、自分の生活の仕方や、人生の生き方にについて神の御心を求めてください。そうすればあなたは神とつながることができ、あなたの信仰は生き生きと成長を始めます。
また、イエス・キリストを心に信じていることを告白する祈りによって、罪から救われていることを確認してください。そうすれば、どんな問題からの救いをも安心して求めることが出来ます。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4章6、7節)
主は「何も恐れなくてもよい。」と言っておられます。何があっても心配しなくてもいいのです。
恐れる必要も、思い煩うこともありません。主は恵みのうちに私たちの祈りに答え、救うべき時に私たちを救ってくださるからです。私たちのいのちを主に任せ切って安心していましょう。
ですから、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われたのです。(ヨハネ14章1節)
神は私たちの上に起こるどんなこともすべて知っておられ、神のお許しなしには何事もあなたの上に起こることはないからです。
イエスはあなたがたの頭の毛さえもみな数えられていると言われました。(マタイ10章30節)
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛