祝福のメッセージ:2013ー02

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201302

十字架への道⑫ ぶどう園と農夫のたとえ話

 

 ガリラヤでは、イエスは山や海や野原といった自然の中でお話しなさいましたが、最後の宣教の地となったエルサレムでは、おもに神殿や会堂で教えられました。

 この時もイエスは神殿の境内に集って来た人々に話をされました。そこには祭司長や律法学者たちもいて、イエスに目を光らせて意地悪で厳しい質問をしました。

 その時イエスはぶどう園と農夫のたとえ話をなさいました。

 もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。マタイの福音書21章33-40節)

 これと同じ記事はマルコ12章とルカ20章にも書かれています。このたとえ話は、これから起ころうとしているイエスの十字架と密接に関係があります。

 もともと、イスラエル民族は、人類全体の手本となるようにと、神が特別に選ばれた唯一の民族です。彼らの信仰が他民族の手本となるためであり、また、この民族を通して神の栄光が顕わされるためでした。

 彼らが忠実に神に従っている間は、イスラエル民族は祝福されて周りの民族が目を見張るほどの強力で豊かな民族として栄えました。

 けれども、彼らが神に従うことから離れて、偶像礼拝に陥った時、民族は衰退して行きました。神は預言者たちを遣わして、もとの忠実な民族となって良い実を結ぶよう諭しましたが、彼らは預言者たちの忠告に耳を傾けず、迫害したり殺したりしました。その結果、イスラエルはまわりの民族によって征服されて、彼らの多くは囚われの身となって外国に連れて行かれました。

 そこで、苦しみの中から彼らは悔い改めて神に立ち返りました。民族は再び回復し、繁栄して豊かになりました。するとまた、神の教えから離れて堕落して行きました。その間にも、神は幾度となく預言者たちを遣わして警告しましたが、彼らは耳を傾けず、遣わされた預言者たちを迫害したり殺したりしました。

イエスはその歴史を、農園を管理する農夫と収穫のわけ分を受け取りに来た僕たちにたとえてお話になったのです。

 イスラエル民族は数千年の歴史を通して世界中の民族の良い手本となって、神の栄光を顕わすことが期待されていました。けれども、彼らは神に良い収穫の実をおささげすることが出来なかったばかりでなく、神の警告を伝えるために遣わされた預言者たちを迫害したり、殺したりして、反逆の一途をたどって来ました。そして、終わりの時代に近づいた時、最後の使者として神の子であるイエス・キリストが遣わされたのです。

 イエスの時代のイスラエル民族はユダヤ人と呼ばれ、ローマ帝国の支配下でエルサレムを中心にしたパレスチナの地で自治を許されていました。そこでは、レビ族が神殿を管理して、ユダヤ人の霊的な指導者としての責任を持っていたのです。

 それは神殿の管理者である祭司たちであり、ユダヤの律法の管理者である律法学者たちでした。ユダヤ人の指導的な立場にあった彼らは、ユダヤ人が神の民として良い実を結び民族の手本となるようにとその働きを神から任されていたはずでした。けれども、彼らはその立場を自分たちの思いのままに利用して人々を支配し、苦しめていました。

 彼らは良い実を結ぶどころか、神が遣わされた神ご自身のひとり子であるイエス・キリストさえも拒み、人々の評判がイエスに向けられていくのを恐れて、殺そうとたくらんでいたのです。それが、当時の状況であり、このたとえ話の背景でした。

 この話を聞いた律法学者や祭司たちはどんなに驚いたことでしょう。また、怒りに燃えたことでしょう。自分たちのことを言っていることがすぐに分かったからです。

 このたとえ話は、現代に生きる私たちにも無関係ではありません。

 私たち、先に救われたクリスチャンは神の子どもとしての良い生き方をして、神の栄光を表わすよう、良い実を結ぶことを神に期待されています。

 どのような時代に生かされていても、その時代の状況に合わせて、神の期待に沿った生き方をすることが求められているのです。神の子として相応しい実を結ぶことによって、私たちは神に栄光と誉れをお返しすることが出来るのです。

 今の時代に私たちが行なうべきことは、まず、神から遣わされたイエス・キリストを救い主として心に受け入れることです。次に、神のご計画によって、神の子どもとされた者にふさわしく生きて、周りの人々に喜びと平安の手本を示すことです。

 一瞬先に何が起こるか分からない不安な時代にあって、あなたの果たす役割は大きいのです。

 あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5章16節)