親愛なる祈りの家族の皆様。
イエス・キリストの復活を心から感謝します。
近くの公園にはサッカー場や野球のグランドがあります。また、最近新しくなったとてもきれいなテニスコートもあります。けれども、テニスコートに行くには百段以上もある長い急な階段を通らなければなりません。その半分くらいまでなら一気に駆け上がることが出来ますが、それから先が大変です。とても一気には上れません。特に疲れている時は、永久に続くかと思うほどの長い階段です。私はその階段を楽に登る方法を考えました。
この階段をいやなもののように思って無理やり、一気に駆け上がってしまおうとしないことです。
あたかも楽しいことをするように、一段ずつゆっくりと登るのです。「これは、永遠に続く階段」と思って、一段一段の歩みを疲れない速さで進むのです。そして、周りの景色に目をやり、それを楽しみ、他の事を考えたりしながら、一段また一段と上って行くのです。特に今は、新しい緑の芽が出始めているのが目にとまります。そうしているといつの間にか、ほとんど気がつかないうちに一番上まで来てしまいます。どんな速さで上っても、上り続けていれば必ず頂上に着けるのです。
もう一つの方法は、だれか他の人たちと一緒に、話をしながら励まし合いながら登る方法です。
「この階段ずいぶんと急ですね」「大丈夫ですか、少し休みましょうか」などと言い合いながら互いに苦労や辛さを共有して登ると、苦労の中にも楽しさがあって、登り切った時の喜びをも共有できるのです。
困難は誰の上にもやってきます。それを思いがけない不幸な出来事と思うか、自分の人生の一部分として受け入れて生きていくかによって、その途中にも、その結果にも大きな違いが現われます。また、その経験が将来に生きて役立ち、この次にはもっと上手に克服できるようになります。
最近ある登山家の話を聞きました。多くの登山家たちは大変な苦労を承知の上で山に登ります。時には命の危険さえも冒して挑戦します。なぜ、わざわざそんなことをするのでしょう。
その方は70歳を過ぎてから何度も世界の最高峯エベレストの登頂に挑戦しました。特別に体が丈夫というわけではなく、むしろ、色々な病気を持っておられました。けれども、登山の時の大変な苦労をむしろ嬉しそうに話してくれました。
エベレストのような高い山に上る時には、たとえ山頂を目ざす人は一人か二人であっても、それを支援するスタッフは数え切れないほど大勢います。みんなが役割を分担して苦労を分かち合い、登頂に成功した時には自分も山頂に立ったと同じようにその喜びを分かち合うのです。
登山に魅せられた人にとってはその苦労はむしろ喜びとなるのです。けれども、その喜びを知らない人にとっては、その苦労は拷問の苦しみのように思えることでしょう。
私たちの人生もそれに良く似ています。私たちはそれぞれ色々な苦労を経験していますが、皆で支え合う時、その苦労が喜びに変わります。
特に、イエス・キリストを自分の人生の中心においている祈りの家族は、励まし合い、祈り合うことが出来ます。私たちは自分ひとりで重荷に苦しみ悩み続ける必要はありません。互に重荷を告白し合い、祈り合うことが出来るからです。
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。(ヤコブ5章13-15節)
先週届いた手紙の中に、「祈りが答えられました。」という感謝のお便りが何通かありました。
一人の方は、祈っていた子どもの就職が決まったことを知らせてくださいました。もう一人の方は、病気が癒されて退院することが出来たことを知らせてくださいました。他にも祈りが答えられたというお便りはたくさん届いています。また、色々な問題や悩みのために、多くの方から祈りのリクエストも届いています。祈りが答えられたというお便りも嬉しいのですが、問題を抱えている方からの祈りのリクエストもそれと同じように尊いのです。なぜなら、私もその方と一緒に重荷を負う特権にあずかることが出来るからです。一緒に重荷を負い合い、励まし合い、祈り合うことが、困難や問題を喜びに変える秘訣です。また、祈りが答えられた時の喜びも特別なものとなります。
あなたは苦しんでいる人の気持ちをその人と同じように感じたことがありますか。家族や親しい友が苦しむ時、同じように痛みを感じられたことでしょう。イエスはしばしばそうなさいました。
イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14章14節)
イエスのもとに集って来た大勢の群衆をご覧になった時は、その人たちへの深い同情を表わされ、癒しの奇跡をたくさん行なわれました。
ラザロが病気で亡くなったのを知った時、イエスは涙を流して深い同情を表わされました。
イエスは涙を流されました。(ヨハネ11章35節)
家族を亡くした友が経験している大きな悲しみをご自分も同じように味わいお感じになったに違いありません。その結果、人々はイエスが死人を甦らせるという奇跡を見ることになりました。
私は人の心の中にある大きな悲しみや苦しみを、イエスのようには完全に理解することは出来ません。また、奇跡を行なって問題を解決する力もありません。けれども、同じ気持ちになってその悲しみをイエスに差し出して祈ることは出来ます。どうか、あなたもそうなさってください。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とイエスは言われました。(マタイ11章28節)
もう一人で悩む必要はありません。イエスはあなたの悩みを知っておられます。ご一緒に祈り合い、重荷をおろしましょう。そして、祈りが答えられた時には、ご一緒に喜び、感謝しましょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛