祈りの家族への手紙:2013-06


 親愛なる祈りの家族の皆様

 私は最近、祈りの家族の皆さんへのお便りをとても苦労して書いていることに気が付きました。もちろん、何ごとでも苦労して一生懸命にやることは決して悪いことではありません。けれども、自分の考えで、皆さんの励ましとなり益となる良い手紙を書こうとしても、何かが足りないことを感じるのです。「これでいいのだろうか。あの人にも、あの家庭にも励ましとなり、助けになるのだろうか。」そう考えながら、少ない知恵と力を絞って良い手紙を書こうとしているのです。けれども、そうすればするほど、いつも自分が書いていることに満足できなくなります。もう年を取り過ぎたのだろうかとさえ思うことがあります。

 そんなある時、偶然にも、レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」の音声を録音したテープを見つけました。それは、ずいぶん前の番組で、トム・ネザートンという福音歌手の証しが入っていました。それを聞いているうちに、大切なことに気が付きました。

 彼は幼い頃から形だけはクリスチャンで、教会にも行き、聖歌隊でも歌っていました。けれども、心に平安がなく、人生に目標が持てませんでした。ある時、友だちに誘われて伝道集会に出席し、そこでイエス・キリストを心に迎え入れて自分の人生を全てお任せする決心をしました。すると、その時からイエスがいつもともにおられることを実感するようになりました。心に平安が与えられ、人生にしっかりとした目標を持つことができたというのです。今まで確信が持てなかったのは自分の力だけで人生の目標を見出そうとしていたからでした。自分の人生を神にお任せした時、それがはっきりと見えてきて、彼は大好きな音楽を通して人々にイエス・キリストを伝えることに喜びを持つことが出来るようになりました。こうして彼は自信を持って福音歌手としての道を選ぶことが出来たというのです。トム・ネザートンは証しをこのように結んでいました。

 「クリスチャンがクリスチャンであり得るのは、神の霊がその人の心の内におられて導いてくださるからです。人は自分の力で聖くなることは出来ません。けれども、神の導きに従って歩む時、神の聖さがその人の前面に顕れてその人の人格に働き、そういう生き方に喜びを持つことが出来るようになるのです。」

 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3章5、6節)

 これは今の私にも当てはまると思いました。自分の力だけで神の恵みを伝えようとしても、人間的な知恵には限界があります。けれども、自分の知識だけに頼らず、神の霊が働いてくださるようにと求める祈りによって整えられたことばを用いるなら、神がそれを用いて聞く人一人ひとりに最も適切に理解させてくださるのです。人にはそれぞれ違った事情があるからです。神は言葉では表せない真理を聖霊によって明らかにしてくださいます。人の知恵やことばは、神の霊が働いてくださるきっかけを作るだけです。

 個人的な信仰についても同じことが言えます。人は自分の力や努力では聖くなれません。神の前にはどんなに立派な人でも不完全です。それを認めて、キリストの力によりたのむなら、キリストの品性がその人の前面に顕れるようになるのです。それが、イエスがこの世に来られた目的です。

 自分の弱さを認め、神の力によって、キリストに似た人格を持ちたいと願うなら、神はそれを喜んで受け入れてくださり、私たちにキリストの品性を持たせてくださいます。

 あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3章9、10節)

 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。  (ヨハネ16章13節)

 祈りの家族の皆さんがお送りくださる祈りのリクエストの中に書かれていることは、いつでも私の心にかかっています。祈りの家族の中には私自身を含めて年配の方々が大勢おられます。お一人お一人がいつまでも健やかであり、毎日を平安のうちに楽しく過ごされますようにと心から願っています。

 家庭の中に問題を持って苦労しておられる方もおられます。イエス・キリストがそのご家庭の中に入ってくださり、一人ひとりの心を和らげて、愛による一致によって問題が解決に向かうようにと願っています。肉体的な弱さを持ち、病気の不安と闘っておられる方も大勢おられます。病人に直接手を置いて癒してくださったイエスがそのご家庭にも働いてくださり、健やかにしてくださるようにと祈っています。

 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」(マルコ1章41節)

 経済的な困難に苦しんでおられる方もおられます。主は私たちの必要を全て知っておられます。お一人お一人の必要をことごとく満たしてくださるようにと祈っています。神は私たちの必要を全てご存知です。ですから心配する必要はありません。

 あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。(マタイ6章32節)

 自分の家族だけでなく、親族や子どもたちの家庭の問題も心配になります。見ていると、「ああすればいいのに。」「こうしたらよかったのに。」と心配の種は尽きないことでしょう。その気持ちが大変よく分かります。一つ一つが私の心にも伝わってきます。けれども、どの問題も、私には解決することはできません。しかし、それらを全て解決してくださる方を知っています。それはイエス・キリストです。イエス・キリストをいつも心にお迎えしてください。 そうすれば、問題を全て受け取ってくださいます。イエス・キリストはそのために来てくださったのです。あなたを限りなく愛し、あなたの重荷を取り除いてくださいます。あなたはもう心配する必要はありません。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛