祝福のメッセージ
福音書にあらわされたキリスト
No.201307
十字架への道⑰ ピラトの苦悩
イエスを十字架刑にする権限はユダヤ人にはありませんでした。当時のユダヤはローマ帝国に支配されていて、政治も裁判も治安もすべてローマ総督が権限を持っていたからです。
そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」(ヨハネ18章31節)
イエスを死刑にすることを要求されたピラトはイエスのことをもっとよく知らなければならなくなりました。そこで、いろいろと質問し始めました。
「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18章33-36節)
イエスが私たちに与えたいと願っておられる神の国は地上のものではありません。けれどもれっきとした国であり、私たちはその国民です。けれども、ローマ一筋に仕えてきたピラトにはそれはわかりませんでした。ピラトがそれを理解できなかったために、後になってユダヤ人の策略にはまって、自分の意思を曲げなければならなくなったのです。
そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。(ヨハネ18章37、38節)
ピラトの心はだんだんイエスにひきつけられていきました。イエスを助けたいとすら願い始めたのです。
ピラトはローマを代表してユダヤを治めていました。ですから、正義とか真理という大命題に対しては日ごろから思いめぐらし議論もしていたことでしょう。けれども、イエスからそれを聞かされるとは意外に思ったに違いありません。
ピラトの妻も裁判の席についているピラトに使いを送ってこう伝えていました。
また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」(マタイ27章19節
そこで、ますますイエスを助けたいと思うようにったピラトは群衆に向かって一つの提案をしました。
またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」(ヨハネ18章38、39節)
けれども、イエスを死刑にすることを求めていたユダヤ人たちはそれを受け入れることを拒みました。
しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」(マタイ27章20-22節)
ピラトは少し慌てました。明らかにユダヤ人の指導者たちのたくらみが見えていたからです。そこで、彼も一つの賭けに出ました。民衆の同情を買うためにイエスをむち打ちにして、血まみれになったイエスを人々の前に立たせることにしたのです。
ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。
祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」(ヨハネ19章4-6節)
ピラトは自分の権限をはっきりと主張して無罪判決を宣言したのです。ユダヤ人がローマ総督の権限を無視して死刑を執行すれば重大な罪を負うことになります。彼らにはなすすべがないはずでした。それで、万事は収まると思ったのです。果たしてそうなったでしょうか。
こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」(ヨハネ19章12節)
この言葉にたいしてはピラトにはなすすべがありませんでした。自分の統治能力が疑われるだけでなく、まかり間違えば、ローマの反逆者にされかねません。ピラトはイエスを十字架につけるために彼らに引き渡さざるを得なくなりました。
彼はローマ総督でここでは一番大きな権限を持っていました。どんなことでも自分の思い通りにできると思っていました。「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」(ヨハネ19章10節)しかし、イエスは言われます。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。」(ヨハネ19章11節)
十字架への道は人の力や意志によってではなく、全ては神のご計画のうちに進んでいくのです。