祈りの家族への手紙:2013-09

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 私たちは人生にいろいろな計画を立ててきました。成就したものもあれば、成就しなかったものもあります。今も心の中に夢を描き、それを思う存分膨らませ、その夢に向かって突き進んでおられる方も多いことでしょう。特に若い人々はそうあるべきです。もちろん、年配者の中にも、今から新しいことに挑戦するという方もおられます。70歳を過ぎてから初めて楽器を習い始めて、今では楽団で演奏しているという人の話を聞きました。とても素晴らしいことだと思います。人はやろうという熱意があればどんなことでもできるような気がします。けれども、必ずしもすべてのことが計画通りに出来るとは限りません。ものごとが予定どおりに進まないことはしばしばあります。人の計画はあくまでも計画であって決定しているわけではないからです。

 だからと言っても、簡単にあきらめたり、がっかりして、無計画に行動を起こしたりすべきではありません。また、最善を尽くす努力を惜しんでもなりません。計画を立てることや希望を持って目標に向かって努力することはどんな結果になったとしても、それ自体が尊いことです。けれども、一生懸命にやりさえすればすべて自分の思い通りにいくとは限らないことも知っておくべきです。思い通りにいかないからと言って挫折してすべてをあきらめてしまうことのないためです。

 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言19章21節)

 どんなに良いと思ってやっていることの中にも思いがけない罠があったり、どんなに悪いと思っていたことの中にもかすかな希望が見えて、それが大きく膨らんで良い方に向かうこともあります。

 日本中を揺るがせた大地震と津波の惨事からさえも、希望を見出し、周りの人々にも勇気を与えておられる方があることを知って、多くの人々が今までにはなかったような励ましを受けています。

 その反面、たとえうまくいったときでも、成功の原因は必ずしも自分の計画や努力だけによるものではないのです。思いがけないところから助けが来ることもしばしばあります。私自身のことを思い返してみても、自分の努力だけによるものはなく、必ずどこかからの助けがありました。自分が良いと思ってやっていたことが、かえって良くない結果をもたらしたことさえありました。全ての良いわざは神から来るものです。

 その反面、大きな苦しみと悩みの中から、あるいは絶望のどん底からさえ、素晴らしい人生を見出す人もいます。「人生のどん底で神を見出し、本当の喜びを知った」と言われる方も大勢います。困難がなかったら、たとえ平坦な人生だったとしても、その尊さに気付かなかったかも知れません。

 私は中学生の頃からリーダーズダイジェストというアメリカの雑誌を読んでいました。その中に書かれていた実話の数々を今でも忘れません。その一つ、ある産婦人科医の告白をご紹介します。

 『ある出産を担当したとき、私は生まれてくる子供に障害があることに気が付きました。サリドマイド事件が話題になっているときでしたので、その子供を無事生まれさせるべきか迷いました。無事に生まれてもこの子は母親をはじめ家族に大きな苦痛と苦労をもたらすに違いないと考えました。しかも生まれてくる子供は逆子でした。その子をしばらくの間手で押えていれば窒息します。当時逆子が無事生まれてくる確率は低かったので、たとえ死産となってもとがめられることはないだろうと考えました。これで家族を苦痛から救えると思ったのです。けれども赤ん坊は、何とか私の手を押しのけて出て来ようとしているのを感じました。私はとうとう抑えきれずに手を緩めてしまい、元気な女の子が生まれてきました。まぎれもなく両腕のないサリドマイド児でした。

 そのことがあって何年も過ぎてから、私のもとに一通の招待状が送られてきました。行ってみると一人の少女がバイオリンの演奏をしました。演奏が終わると、バイオリニストと母親がステージから私の名前を呼んで会衆に紹介しました。「先生のおかげで私はこの子を授かり、このように育てる喜びを与えられました。本当に感謝します。」その子は両腕がなく手が肩から直接出ていましたが、特別な義手によってバイオリンを弾くことが出来るようになり今日に至ったと言うのです。そこに至るまでには多くの困難があったことでしょう。しかし、そのすべてが大きな喜びに変わっていることが分かりました。』

 その医師は「自分の考えがどんなに浅薄で、人の命を支配しておられる方のご計画がどんなに偉大なものかを改めて思い知らされた」と結んでいました。

 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。(箴言3章5節、口語訳)

 困難や問題をばねにして、そこから立ち上がり素晴らしいことを成し遂げる人もあれば、絶望して人生をあきらめてしまう人もあります。いったいどこにそのような大きな違いが生じるのでしょう。何がそのような力を与えるのでしょう。あきらめないで頑張る人だけが立派で、力つきて倒れてしまう人はだめな人間でしょうか。決してそうではありません。その人にも必ずチャンスがあります。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2章10節)

 困難と闘う勇気と力も、もう少しだけ頑張って素晴らしい結果を獲得したい、という情熱も神が与えてくださるからです。今この時にも頑張っておられる方も、自分一人で闘っておられるのではありません。様々な困難に押しつぶされそうになって祈っておられる方も、どうか心にとめてください。あなたと一緒にその困難と向き合って、あなたに知恵と力を与え、忍耐と勇気を与えて、あなたを完成させようとして働いてくださっている方がおられるのです。

 神のご計画はしばしば私たちの思いもよらないところにあります。神の助けも思いがけないところからやってきます。それを逃さないためには、どんなことの中にも助けの手を見つけ出してそれを受け止めることのできる信仰が必要です。神は決してあなたをお見捨てにはならないからです。人生そのものに意味があるように、その中で経験するどんなことにも大きな価値があるのです。

 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1章6節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛