祈りの家族への手紙:2013-10


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 イエス・キリストによって罪を赦され、永遠の滅びから永遠のいのちに移されている私たちは、その恵みと祝福を周りの人々に伝える使命を受けています。私たちはイエス・キリストの証人です。

 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16章15節)

 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。 (ルカ24:47ー48)

 それは決して大げさなものではありません。その行ないがどんな形であっても、また、どんなに小さな事でも主の名によって人を喜ばせ、励まし、力づけることは神の願いである祝福を他の人々と分け合う一歩となるのです。たった一杯の冷たい水でも、それを必要としている人に与えるなら、その人は喜び、それによってあなたの心にも喜びが湧いてきます。何よりも主がそれを喜んでくださいます。

 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(マタイ10章42節)

 神は全ての人を祝福したいと願っておられます。人は神に愛され祝福されるために造られたのです。神が造られた全てのものを一つ一つ注意深く見るとき、そこには驚くべき細やかな調和と美しさが見えてきます。私たちの体の構造を一つとって見ても隅々に至るまで人間の能力をはるかに超えた創造者の計り知れない知恵と思いやりが溢れています。外から入ってくるものから体を守る免疫の機能、見たり聞いたり触れたりして、そこにあるものが何であるかを判断する能力、自分と同じ性質を伝える遺伝子のしくみ。何を取り上げてみても驚嘆に値する能力です。私たちはもっともっとたくさんの祝福に気づくべきです。そのような神の愛と思いやりに感謝し敬意を表すべきです。けれども人は自分勝手な思い上がりによって、神を敬わず、与えられている自分の知恵や力を誇り、混乱と破滅を招いてしまいました。それゆえ神は私たちを本来の神が願われた姿に作り変えるために、私たちの罪の源である、神に背いた生き方をイエス・キリストの十字架によって罰して葬り去り、悔い改めて神に立ち返る者をキリストの姿に似た者に作り変えようとしてくださいました。それゆえ、罪の性質を持った私たちの古い人格は変えられてキリストの人格へと近づけられているのです。

 このように、神の大きな愛と恵みに気づいた私たちは他の人にもその祝福を伝える良い働きを任されているのです。私たちが良い人間だからではありません。神が良い方だからです。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2章10節)

 もしあなたが今、困難の中を通っておられるとしたら、それは神があなたを困難の中に閉じ込めようとしておられるのではありません。苦しみの中にあるときにも神は決して見捨ててはおられないことを、あなたを通して人々に示すためなのです。あなたはその大切な役目を担っているのです。神があなたと共におられ、あなたにその働きをさせておられるのですから安心してください。やがてその役目が終わる時が必ず来ます。

 私がこう申し上げているのは、祈りの家族の中に神を信じてその困難な役目を忠実に果たしていらっしゃる方がおられることを知っているからです。神はその方を特別に信頼してその良い働きを与えて見守っておられるに違いありません。私もその方のために特別にお祈りしています。

 困難や痛みは決して私たちの敵ではありません。人は誰でも痛みを伴ってこの世に生まれてきましたがこの世に生を受けたことによって知らず知らずのうちに周りの人々に大きな喜びを与えてきました。けれども、成長とともに数々の新しい痛みも経験するようになります。痛みを経験したときそこから大切なことを学ぶのです。私たちが痛みを感じるのはたくさんの良いことや喜びがあったからです。もし、良いことが何もなく、痛みと苦しみだけしか経験しない人がいたとしたら、その人は痛みと苦しみは特別なこととは思わないことでしょう。私たちは喜びや感謝は忘れやすく、それを失うことによる痛みや苦しみはなかなか忘れないのです。痛みだけの人生はなく、喜びだけの人生もありません。ですから、ことさらに喜びと感謝を数えて心にとめ、何度も思い起こすべきです。聖書もそう勧めています。

 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4章4節)

 すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。(エペソ5章20節)

 私もそうですが誰でも年齢を重ねるとともに肉体的な痛みが多くなります。けれども、それを受け入れる技も身に着けてきました。それは、やがて最後にこの世の古びた肉体を脱ぎ棄てる痛みを受け入れる準備なのかも知れません。

 多くの人が「人はなぜ死ななければならないのでしょう。」と尋ねたがっています。「いつまでも永遠に生きたい」と言う願いは人類の歴史が始まって以来、繰り返して求められている課題です。私たちが今持っている体で永遠に生きることはできません。永遠に生きるにはそれにふさわしい体が必要です。それは、イエス・キリストと同じ復活の体です。その体には痛みも苦しみもありません。病気も老化もありません。今私たちはその体にふさわしいものとなる備えをしているのです。主は私たちがそれを恐れなく感謝して受け止めることが出来るようにしてくださいます。

 この大きな恵みを一人でも多くの人に伝えたいと思います。それを受け取った人はどんなに喜んでくれることでしょう。こんなに素晴らしい恵みを伝える働きが私たちにゆだねられているのです。

 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1章6節)

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛