祈りの家族への手紙:2013-11


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 11月の一番大きなテーマは感謝することです。秋は収穫の時ですが、収穫の喜びとともに大切なことは、労働による豊かな収穫を神に感謝することです。

 アメリカ開拓の歴史には多くの暗い面もありましたが、真面目で勤勉な清教徒の労働者たちが地道に築いた働くことの尊さを重んじることが今も国の精神的な土台となっています。多くの開拓移民たちは貧しい生活の中で互いに支え合い助け合って、信仰に根ざした奉仕と労働の尊さを学び、収穫を感謝する習慣を代々に伝えてきました。それが今も多くの家庭で守られている感謝祭です。

 日本でも11月23日は勤労感謝の日として祭日になっています。勤労を感謝するとともに、私たちの勤労に豊かに報いてくださる神に感謝しましょう。

 私たちの労働の実は私たちの力だけによってやって来るものではありません。勤勉な労働に対する神の恵みと特別な愛の結果としてやって来るのです。私たちが働きさえすれば必ず収穫が得られるという保証があるわけではありません。収穫はあくまでも、神の恵みにより、私たちへの祝福の表れとしてやってくるものです。

 「こんなに一生懸命にやったのに」、「こんなにまじめに働いているのに」というつぶやきをしばしば聞きます。私自身もそういう気持ちを持ってしまうことがあります。けれども、よく考えてみると、それは思い違いだということが分かります。私たちは自分の働きによって、自分の努力だけでと思いがちですが、それは神が与えてくださっている健康やよい環境や条件が伴なっているからこそ成り立っているのです。

 農夫がどんなに一生懸命に働いても、無代価で注がれる太陽の恵みがなければ植物は育ちません。何の苦労もなく与えられる雨や川の水の恵みがなければ作物は皆枯れてしまいます。何にも増して、働ける健康と環境が与えられていなければ何もできません。

 季節ごとに忠実に廻って来る自然の変化とともに様々な恵みや豊かな収穫が得られることをどんなに感謝しても感謝し切れるものではありません。それにもかかわらず、私たちはしばしばその恵みに感謝することを忘れ、不平だけが先に出てしまいがちです。ですから、せめてこの時期には数えきれない恵みに感謝し、主をほめたたえる時を持とうではありませんか。

 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。(コリント第二9章15節)

 あなたは今どんなことで神に感謝したいと思っておられますか。今それを一つずつあげてみてください。そしてそのことについて神に感謝しましょう。

 イエス・キリストによって罪が赦され、神との交わりを回復されて永遠のいのちが約束されている大きな恵みの他にも、感謝したいことはたくさんあります。

 私は今、自分が年相応に健康であることを神に感謝したいと思います。多くの方が健康を害し、癒しを求めて切に祈っておられます。突然健康を失うことの不安や苦しみはとても大きなものです。「なぜ私がこんなに苦しまなければならないのだろう。」とつぶやく方の気持ちがよく分かります。健康を損なうと十分に働けなくなり、経済的にも大きな負担を負うことになるからです。イエスはその痛みと苦しみをよく理解してくださっています。ですから、私もこれから年を重ねるに従って、肉体的に弱っていくとしても、その時その時の健康状態を神に感謝したいと思います。

 私には特別に感謝したいことがもう一つあります。それは、良い家族に恵まれていることです。良い家族はかけがいのない宝です。家族の関係が良くないと毎日が苦痛となるに違いありません。心が休まることもままなりません。一時的には気を紛らわすことが出来たとしても神の助けがなければその苦痛から逃れることはできません。お互いに感謝し尊重し合って、与えられた家族と良い関係を保つことは何物にも代えがたい大きな祝福をもたらします。そう出来ることも神の恵みです。

 その他にも感謝したいことはたくさんあります。

 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ第一5章18節)

 感謝する心を失うと、それを当たり前と思い、いつものように手にはいらなくなると恨みだけが残ってしまいます。全ての恵みの源である神に感謝することは、日々私たちの喜びが増し加わる秘訣であるだけではありません。それが私たちの本来あるべき正常な姿なのです。

 幼い子どもが自然に覚える最初の言葉はノー(いやだ)とマイン(私の物)だと言われています。その悪い言葉を覚える前に、サンキュー(ありがとう)とアイムソーリー(ごめんなさい)を覚えさせるために、周りでその言葉を頻繁に言うようにする運動が行われています。その結果、大人にとってもこの二つの言葉がお互いの人間関係を良くすることに大変役立つことになりました。子どものためだけではなく大人にも必要な言葉だったのです。特に、心から「ありがとう」と言うことを忘れないようにしたいものです。まして、神に感謝することはなおさら大切です。毎日一つ一つのことを言葉に出して神に感謝する習慣にしましょう。そうすることによって、より一層感謝に溢れ、神の愛に近づくことができます。

 私の母は96歳で召されました。亡くなるまで施設の世話になっていましたが老化が進み、だんだん子供のようになっていきました。そんな母に私は一つのことを頼みました。それは、どんなことをしてもらった時にも必ず「ありがとう」と言うことです。あまり十分とは言えない報酬で毎日辛い仕事を献身的に続けている介護者の皆さんは使命感なくしては到底続けられません。けれども、その仕事は誰かがやらなければならない大切な仕事です。そんな人たちに、せめて「ありがとう」を言い続けることを母の最期の仕事として続けてくれたのではないかと思います。

 聖書は繰り返し「感謝しなさい」と教えています。感謝する気持ちはそのままその人に反映してその人の心を豊かにするものだからだからです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛