祈りの家族への手紙:2013-12


  親愛なる祈りの家族の皆様。

 毎年クリスマスになると私の心に迫ってくることがあります。それは、ハンバード牧師がまだ救われていない人々の名前を携えて聖地エルサレムに行き、十字架があった場所で、その人たちが救われるようにと祈っていたことです。私もしばしば同伴し、日本の皆さんからの祈りのリクエストを世界中から送られてきた祈りのリクエストと一緒にして、そこでともにお祈りしました。

 人々が神に立ち返り、人生が変えられること、それがハンバード牧師の生涯をかけた願いでした。

 私たちは何かを失うことを恐れます。特に、命を失うことは誰もが恐れていることです。物を失ったときには、見つかるまで探したり、それと同等の物で補ったり、もっと良いものを手に入れることさえ出来ます。けれども、命が失われたら何によっても補えず、取り戻すことも出来ません。

 けれども、イエス・キリストを信じる者には復活と永遠のいのちが約束されています。ですから、愛する者が、救われて、永遠のいのちを持ってくれることが何よりも大切なのです。そうでなければ、愛する者のたましいは永遠に失われて、二度と取り戻すことができないからです。

 イエス・キリストは失われていた私たちを救うために十字架の上で私たちの罪の身代りとなっていのちを投げ出してくださいました。私たちが救われるのは、私たちの努力や良い行いによるものではありません。イエスが私たちのために救いの道を開いてくださったからです。

 クリスマスは神が人間と同じ姿になってこの世に来られたことを記念する日です。

 人は神に背いた罪のために永遠に神から離されて失われた状態になっています。ですから、死んでしまえば永遠に失われてしまうのです。永遠に失われることの重大さを私たちは十分に理解していません。誰も経験しておらず、そうなってみなければわからないからです。けれども、そうなってからでは取り返しはつきません。その重大さは神だけが知っておられます。神は私たちを憐れみ、惜しみ、私たちを救うために人と同じ姿になって、人と同じ世界に来てくださったのです。

 ですから、クリスマスの時期に十字架のもとに進み出て、まだ救われていない人々の救いを求めて祈ることは大変適切な信仰の表われであり、信仰を行動に移した祈りだったと思います。

 イエスは言われました。

 「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」(ルカ19章10節)。

 私はずいぶん長い間、このことばはイエスがまだ救われていない人々を見つけ出して、その人を救ってくださることだけだと思っていました。確かにまだ救われていない人を見つけ出して救ってくださることはすばらしいニュースです。けれども、それだけではないことに気が付きました。

 すでにイエスを信じて救われている私にも関係のあることです。誰でもしばしば、イエスの教えを忘れていたり、イエスを身近に感じるための祈りを忘れたり聖書の言葉を読むことから遠ざかったりするのではないでしょうか。そんなことが続くと、いつの間にか平安を感じなくなり、喜びが遠ざかり、毎日の生活に気力を失ってしまいます。喜びや平安がなくなり、問題ばかりが大きく見えてきます。けれども、実際には喜びも平安もいつでも私たちから離れてはいないのです。

 ダビデは詩篇23篇でこう言って主をほめたたえています。

 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩篇23篇6節)

 主の恵みといつくしみとはどんな時にも私たちから離れることはないのです。実際に私たちが喜びや平安を失ってしまったように感じるのは、私たち自身が迷い出てしまうからです。

 イエスはそういう私たちをも尋ね出して引き戻してくださるのです。

 「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」(ルカ19章10節)。

 私は道に迷って帰れなくなったことが何度もあります。まだ小学生だった頃、遠くの川へ魚取りに行って道に迷い帰れなくなったことがありました。それらしい道がないかとあちこち走り回り、行ったり来たりしてみましたが、ますます分からなくなるばかりでした。そのうちに暗くなり始めたので、何とか誰かに助けを求めなければと思っていたところ、遠くから懐中電灯の光が見えたので、そちらに行くと、帰りが遅いのを心配した母が、姉に探しに来させたのでした。帰り道は決して分かりにくい道ではありませんでした。ただ、恐れと心配が先だって良く分からなくなっていたのです。そればかりか、もし帰りが遅くなったら心配して探しに来てくれる人がいることを忘れていたのでした。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)

 もし、あなたが永遠のいのちの与え主であるイエスから遠く離れて失われてしまいそうな状態になった時には、あるいは、確信を失って、心に喜びと平安がなくなり、帰る道が分からなくなるようなことがあったら、たとえそれがどんな理由からであっても、イエスはあなたを尋ね出して、神のみもとに引き戻してくださいます。そのためにこの世に来てくださったのです。

 「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」(ルカ19章10節)。

 クリスマスは救い主の到来を待ち望む時です。ですから、どんな時にも主を待ち望みましょう。

 主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40章31節)

 そこで、今年のクリスマスには、祈りのリクエストの冒頭に、まず、あなたの名前を書いてください。そのあとで、救われてほしい人の名前をお書きください。そのためにお祈り致します。

 クリスマスは、あなたのために神の子イエス・キリストがこの世に来てくださった日だからです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛